日本将棋連盟の羽生善治会長の後任に清水市代女流七段が選ばれた。初めて誕生した女流棋士の会長によって、将棋連盟に新しい風が吹き込まれよう。将棋棋士を志す女性が更に増え、また、新しく採用された制度や従来方式によって、近く「女流棋士」から「棋士」になる方が出ることも期待される。「女流棋士」は「棋士」ではないのかと、いぶかしく思われる向きもあろうが、「棋士」とは、基本、年に二度の三段リーグでトップ2名に入る勝率を得て四段に昇段される方(次点の方の扱いが別にあるが)と、公式戦で好成績を収めて棋士編入試験の受験資格を得てそれに合格された方々のみが得られるステイタスであり、現在まで、女性で「棋士」になった方はおられず、「女流棋士」ということで、その中でタイトル戦を戦い、普及指導に当たるなど「棋士」とは別のグループとして活動されている。その中で、福間女流六冠や西山白玲・女流王将のように「棋士」と互角に戦われる強豪もおられ、女性の将棋の道が更に開かれることにファンの注目が集まっている。もちろん、清水会長への期待は女性の活躍拡大のみに留まらない。プロアマ問わず、将棋界全体の活力が更に向上するよう、力を尽くされることと思われる。
「清水」は、私の生まれた時の姓である。清水姓は石川県にも結構多く、私の場合は、加賀市大聖寺の姓なので、清水市代さんご本人とは関係はないと思われる。清水新会長とは、金沢の将棋のタイトル戦番勝負の前夜祭で若干言葉を交わした程度で、面識はないと言っていい。それにもかかわらず、羽生前会長同様に清水新会長に大きな期待を寄せるのは、お目にかかった際、将棋に長く打ち込んでこられた深い専門性と、社会で活動される広い一般性を兼ね備えた極めて有能な方とお見受けしたことと、旧科学技術庁での私の同僚で理化学研究所で理事や横浜研究所長を務められた大熊健司氏から、その活動ぶりを聞かせてもらったからである。
大熊氏は、熱烈な将棋愛好家で、清水市代さんの大ファンのようだった。氏は、才能にあふれた人物であり、唐の杜牧のような水彩画を見るが如き漢詩をよく詠まれるが、それとともに、将棋が大好きで、仲間うちでは圧倒的に強かった。氏は、詰将棋にも深い関心寄せており、大道詰将棋の出題図を見ると、いつも目を輝かせた。私は、何度か先番で指したことがあるが、全くの手合い違いだった。ただ一度、ゴルフ場でスタート前の待機時間に盤を挟んだ時ばかりは、なぜか私が優位になって、これで大熊氏に勝てるかとワクワクしたが、スタート時間が来てしまって、勝ちきれなかったのが残念だった。ただ、将棋は逆転のゲームだから、最後まで指したら負けてしまうようにも思ったが、こんなことは、当の大熊氏はとっくに忘れているだろう。
そんな大熊氏の熱意が実を結び、当時の米長邦雄日本将棋連盟会長と脳の研究で世界的なリーダーである伊藤正男理化学研究所顧問の面談が実現した。これをきっかけに、将棋連盟と理研と富士通による共同研究プロジェクトが発足した。
この研究の実施主体は、野依良治先生が理事長を務められていた理化学研究所の脳科学総合研究センターで、研究題目は「将棋棋士の直観の脳科学的研究」であった。この研究に協力された将棋棋士の方々には、実際に将棋を指し、あるいは将棋の駒が並んでいる図面を見て頂いて、駒を動かす際に脳のどの部分が働くかを検知して、それをアマチュアの場合と比較することなどによって、棋士の頭脳とコンピューターの働き方の相違を究めようとするもののようだったが、私はよく理解していない。
現在、「理研と将棋」とインプットしてネットをたどると、当該ページには、研究に関わられた当時の羽生善治名人、野月浩貴七段、西尾明五段、佐藤和俊五段と、理研の山口陽子研究員、富士通の山川宏研究員、そしてこのプロジェクトを実現させた大熊健司氏と7名の方々によるエッセイが掲載されているので、そこからこのプロジェクトの意義を汲み取ることができる。学術上の成果は、2011年に雑誌"Science"に、2014年には英国の科学誌"Scientific Report"に掲載されたと記されている。
このプロジェクトは、人工知能(AI)に関係するものだっただろうが、その主な狙いは、人間の脳の活動のプロセスそのものの研究であり、プロ棋士固有の脳活動の発見、人間の知性解明への足がかりの確保など大きな成果があったが、この研究によって直接強い将棋AIをつくろうとするものではなかったと思う。強い将棋や囲碁のAIは、同じ理研で活躍された甘利俊一東大名誉教授達によるニューラル・ネットワークの構想から発して、AIの基盤技術を確立され昨年ノーベル物理学賞を受賞されたヒントン教授や、「アルファ碁」を開発されたことで知られ同じく去年ノーベル化学賞を受けられたハサビス氏たちのお仕事の結果、できてきたものである。今や、将棋や囲碁のAIは極めて強く、トップ棋士を超える棋力を獲得していることは、誰もが知っている。にもかかわらず、プロ棋士や我々アマチュアの将棋や囲碁の対局は意義を失わないどころか、面白さを増すようになったとも思えることは、このバンガイ編で述べてきたところである。
なお、将棋に強いAIの発達に関して、清水新会長は、女流王将時代に、「あから2010」というAIのソフトと対局されたことがあり、このように新しいことに積極的に取り組まれたのは、本当に素晴らしく、また有難いことと思っている。かくして、今、将棋界が新時代に向かって伸びていくことを切に期待している。(2025年6月27日記)
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