今年のノーベル賞は、生理学・医学賞は坂口志文阪大特任教授、化学賞は北川進京大特任教授に贈られてとても嬉しかったが、その前のイグ・ノーベル賞も、囲碁好きの私としては忘れがたいものだった。我が国の農研機構の児島朋貴研究員達の研究グループによるシマウマならぬシマウシの研究が生物学賞に選ばれたのである。シマウマのように身体に白黒のシマをつけたウシには、虻がたかる割合が減り、そのため、ウシが虻を追い払うために尻尾や身体を動かす頻度が減って、不要なエネルギーの放出が少なくなり、それがウシの生育の効率を高める方向に作用するというもののようだ。縞模様を付けられたシマウシは、自分の身体の縞模様をどの程度認識しているのだろうか。シマウマならぬシマウシとは奇想天外とも言える面白い発想であり、世界中の話題となり得る研究であるとともに、育牛に役に立つというのだから、イグ・ノーベル賞にふさわしいと思われる。このウシの白黒研究の話を読んで、私は、すぐに碁盤上の白と黒の碁石を思い出した。
碁石は白は日向の蛤、黒は那智の黒石が高級品と聞いてきたが、最近はガラスやプラスチックでどんどん石が生産できるので、私の家には碁石が沢山あるが、親戚から譲られて日頃ほとんど用いない碁石以外の私の購入したものはいずれもガラス製品で、孫が散らかして遊んでいる。そんな碁石ではあるが、白石と黒石では大きさが違っている。前進色の白の方が大きく見えるので、対局者が同じ大きさに感じられるようにするために、白の直径を7分2厘(21.9mm)、黒を7分3厘(22.2mm)として、黒石を若干大きくすると決められている。
厚さについては、むしろ直径よりも、多くの愛好家が関心を寄せているところであろう。厚さは、号数で表現され、30号(厚さ8.0mm)から35号(厚さ9.8mm)のものが一般的とされる。号数と厚さの関係は、0.308mmを1号として、これに号数を掛けて、若干の削りシロを引いた数字が、実際の碁石の厚さということのようだ。ここで面白いのは、この0.308と言う数字で、これは1厘という長さをメートル法で表わしたものにほぼ近いが、普通の曲尺では、1尺は30.3cmであるから、その100の1である1厘は0.303mmである。それが、どうして0.308という数字を使うのかよく分からない。大きさに関しても上記の7分2厘、7分3厘は、厳密に計算して四捨五入すると、それぞれ21.8mm、22.1mmになるはずである。とまれ、この0.303と0.308の数字の差異に、何となく面白いものを感じている。
さて、厚さはともかくとして、直径に関して考えてみた。もし、白黒同じ直径にしたら、勝負の結果に影響が出るだろうかと。白の方が1個1個の石の存在感が大きくなるのだから、形勢互角であっても、白が優勢になっているような気分になり、それが自信となって、若干打ちやすくなるということがあるかもしれない。あるいは、白は視覚上の有利さに幻惑されて、甘い手を打ちやすくなり、それが却って敗戦に結びつくかもしれない。と、まあ、あれこれ、無駄な思考を重ねているが、結論に達しうるわけでは無論ない。こんなことは普通には実験できないから、想像だけの世界である。極端に考えれば、こんな実験もやってできないことはないだろうが、有意な結果を得ようとすると莫大な実戦の積み重ねが必要だから、そのような白石と同じ大きさの黒石か、黒石と同寸の白石を大量に作ることは現実にはできない。また、そんな碁石を用いた対局を重ねることもできない。よって、不可能な実験ということになろう。このような種類の実験は、本来、AIの得意とするところだから、ソフト同士の対局をどんどん積み上げればいいのだが、これは心の動きによる勝負結果への影響を調べる試みであるため、ソフト同士の対戦で調べることも不可能と思われる。
そう言えば、我々が日頃お世話になっているネットの囲碁ソフトでは、パソコン画面上で白と黒の大きさはどうなっているのだろうか。囲碁ソフトの「コスミ」を開けて、パット見で白石と黒石の表示の大きさを比較してみたが、何となく白石が大きいように見える。しかし、これは白の前進色のしからしむるところと思われ、それを調整するためか、白石の辺縁部は何となく少し暗くしてある。さらに、棋譜を印刷・拡大して物差しでそれぞれの直径を計測したが、拡大のために碁石の端がややぼやけて、正確な数値が出ない。物差しでの数値は黒が大きいようにも見えたが、正確ではない。ソフトの画面表示では、白と黒の直径を違えるようなことはしていないようにも思えるが、こんな比較方法では、正確なことは分からない。
さて、大きさと同様に、碁石の色の影響も考えられる。白黒に関しては、上手が白を持ち、下手が黒をもつことが一般化されているが、そもそも、先手後手やコミのことを考慮の外に置いて、純粋に、白を持つ方が勝ちやすいのか、それとも黒か、どちらも全く同じなのだろうか。これは、碁石の見え方と心理的受け止めの問題であるが、これとて、結論を得ることは困難で、そんなものは同じに決まっていると言い放すのが正解かも知れない。
それとは別に、夏樹静子さん発案の目に優しいとされる緑系統の碁石として、濃緑色と淡緑色の石が作られている。この場合、両方の碁石の大きさの差異はどのようになっているのだろうか。白と黒の代わりに白と赤を用いたら大きさの調整はどうなるのだろうか。もちろん囲碁の赤石はこの世に存在しない。しかし、柔道の三船久蔵十段が赤帯を締められたように、また、還暦を迎えた大相撲の元横綱が赤い注連縄で土俵入りするように、格別な例外の中の例外として、赤石と白石を用いて対局するケースがあってよいかもしれない。しかし、この場合、上手が白を持つのか、赤を持つのか、よくわからず、また、赤と白ではコントラストが激しすぎて目がチカチカしそうなので、これまた、実現不可能な空想と片付けるのがよいように思われる。
以上、あてもなく、何の役にも立たないことをめぐって、血のめぐりの悪い我が頭をムダに使ってしまったのだった。(2025年10月26日)
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