(2)竜星と銀河

 私の日曜日。約束のない日は、NHKの将棋と囲碁で過ごす。最近、囲碁将棋とも画面上部にAIによる双方の勝率が出るので、一段と面白くなった。ここでの勝率は、両対局者がそれから最善を尽くした場合でのことである。プロ棋士でも、常に最善手を選べるわけではなく、しかも、対局者当人は、その勝率自体を知らされていないから、懸命にヨミを尽くして、ベストの手を探し出そうとする。その姿が美しい。

 ケーブルテレビの「囲碁将棋チャンネル」もよく見る。ここのプロ棋士のトーナメント戦は、囲碁が「竜星戦」、将棋が「銀河戦」。両棋戦は一般棋戦ではあるが、優勝者は、タイトル戦のように「竜星」、「銀河」と呼ばれる。

 囲碁の七大タイトル「棋聖」「名人」「本因坊」「王座」「天元」「碁聖」「十段」、将棋の八大タイトル「竜王」「名人」「王位」「王座」「棋王」「叡王」「王将」「棋聖」は、基本的にタイトル保持者は第一人者を意味する「人」の称号を名乗り、それが棋戦の名前になっている。「王」、「本因坊」はむろんのこと、「名人」は言うまでもない。「王将」は人でも駒でもある。「王位」「王座」はそれに就いている人のこと、「棋聖」「碁聖」の表現は「詩聖」「俳聖」「楽聖」と他分野でもよく使われる。「十段」と段位でその所有者を表わすのも自然である。ただ、「天元」は碁盤中央部の星であり、「星」の仲間と言えよう。そこで「星」及びその集合体たる「銀河」と「人」との関係について考えたい。

 今、我々が、人について「何々の星」と言うと、将来の夢や希望を託すべき人物という感じがする。手許の「新漢和辞典」には、「星」は「高位高官の人」等も意味すると書いてある。思えば、中国の小説「水滸伝」で梁山泊に籠る108人の豪傑は108星とも呼ばれる。天罡星36人、地煞星72人であり、首魁の天魁星呼保義宋江、天孤星花和尚魯智深、天雄星豹子頭林冲、天傷星行者武松などは広く知られている。

 我が国には、歌舞伎や文楽の「仮名手本忠臣蔵」がある。この芝居は、主君浅野内匠頭の敵を討つ赤穂義士47人(志半ばで自害した萱野三平を入れて48人)の群像を描いているが、一同の首領赤穂藩家老大石内蔵助は、その「大石」姓から囲碁に繋がっている。近松門左衛門が「碁盤太平記」なる外題の芝居を書いて、実名「大石内蔵助」を「大星由良之助」なる人物に仕立て、この名前が、竹田出雲、三好松洛、並木千柳合作の大人気作「仮名手本忠臣蔵」に引き継がれて、広く世に伝わった。ここでも「星」は人である。

 かくして、「星」も「人」の称号たりうることが認められる。「竜星」はあまり使われない表現のようだが、「竜」は将棋で一番強い駒、成り飛車の「竜王」を意味する。よって、囲碁でも、棋戦優勝者が名乗るにふさわしいだろう。そして「銀河」である。天の川銀河は、我々人間や地球、太陽を含みこみ、それも極くささやかな一部に過ぎず、無数ともいうべき星の集合体である。そんな大きい天体の名称を優勝者が名乗るとは何とも気宇壮大だ。

 気宇壮大ということでは、子供の頃少年雑誌で読んだ太閤秀吉のお伽衆の一人曾呂利新左衛門の逸話を思い出す。秀吉の許に武将達が集まり、大きな歌を詠み比べて勝者に秘蔵の印籠を賜る催しで、まず福島正則が「我が国に はびこるほどの 梅の木に 天地に響く 鶯の声」。次いで加藤清正「須弥山に 腰打ちかけて 大空を 笠にかぶれど 耳は出にけり」。蒲生氏郷「須弥山に 腰打ちかけし その人を 鼻毛の先で 吹き飛ばしけり」。最後に歌の名手幽斎細川藤孝「天と地を 団子に丸め 手に乗せて グッと飲めども 喉にさわらず」。聞いていた曾呂利新左衛門、チャッカリ前の歌の良いとこどりして「天と地を 団子に丸め 飲む人を 鼻毛の先で 吹き飛ばしけり」で、印籠を頂戴したという話だ。話の細部に異同はあろうが、天と地を団子に丸めるのは銀河の形を連想させ、「銀河戦」に繋がるように思うのである。

(2022年6月20日記)

石川県人 心の旅 バンガイ編 by 石田寛人

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