(4)ディラックの碁

 前回触れたデイラックの碁について追述したい。先に書いたとおり、囲碁は、碁盤の大きさを変えても、現行のルールをそのまま適用して楽しめるところに大きな特徴があるが、碁盤には、当然ながら辺(ヘン)と隅(スミ)がある。その辺と隅をなくしたのが、ノーベル物理学賞を受けて斯界では極めて有名なディラック先生だ。前回も述べたように、辺をなくするには、碁盤をゴムのように曲げやすいものと心得て、左の辺と右の辺を繋げばよいし、そうしてできた円筒型碁盤の両方の端をくっつければ、上辺と下辺もなくなり、同時に隅もなくなる。それが、ドーナツ型、幾何学で言うトーラスの形である。その上で碁を打つのであるが、これも既述のとおり、ドーナツの形状をした立体の上でなければ打てないわけではない。普通の碁盤を使って、盤の右端と左端が繋がり、上端と下端が続いていると想定して打てばよい。

 感覚的には、地球のような球体の上で獲得面積の大小を争うのに近い。歴史上のスペインとポルトガルのトルデシリャス、サラゴサ両条約による地球分割のように碁を打つ感じである。ただ、球体の上では、縦と横の線が十文字に交わるのみの状態を完結することはできないので、トーラスの形にせざるをえないのである。

 現実には、平面の普通の碁盤の19列と1列が、19行と1行が、それぞれ連続しているものと仮定するのだが、やはりつなぎ目のところがややこしい。そこで、継ぎ目の難点を少しでも解消するために、私は次のようなことをしてみた。それは、普通の19路盤を17路に使い、1行目と2行目は18行目と19行目、1列目と2列目は18列目と19列目にそれぞれ重なることにして、これらの行と列は、観念的に糊付けした糊代上の同じ場所と想定するのである。これで平面の碁盤を、ドーナツ状の立体に見立てて着手を考えるのがいささか楽になるが、ただ、たとえば普通の碁盤の6の2に打つと、その虚像が6の19にも現れるから、一見一度に石を二つ打ったように感じてしまう。2の2に打った場合は、それは19の2、2の19、19の19の3箇所に虚像が現れる。もちろん、糊代以外の所では、虚像は出現しない。とても面倒くさいが、ともかく、これで碁は打てる。

 その結果。新鮮な感じはしたが、前回書いたように何度も打ちたいとは思わなかった。互先で打つとして、最初の黒の第一着はどこに打っても理論上は同じである。隅のホシも三三も小目もない。白の第二着が、黒の第一着との相対関係において、はじめて工夫の余地が出てくる。これを、第一着の近くに打つのか、全く別のところに打つのか、悩ましい。隅がないから、隅の工夫などはできない。辺も同じである。空中戦ばかりになる。勝負としてはもちろん成立するが、やはり辺と隅があったほうが断然嬉しい。

 将棋盤をトーラス状にしたらどうなるか。これとて、もちろん不可能ではない。しかし、将棋の駒は方向性があり、各駒の初期配置をどうするかという問題が加わる。駒の動き方を変えることも必要かもしれない。また、縦横のマスの数を下手に違えると、「角行」などは、盤上のどこにでも行けることになってしまう。この場合でも、実際は、味方の駒と相手の駒が邪魔をするから、角行が自由自在に動ける訳では全くないのだけれども。かくして、極端な無理をすれば、現在にやや近い形でディラックの将棋を指せるかもしれないが、最低、どこかに地球上の日付変更線のようなベースラインを引きたい気がする。こうすると、盤に端がないという特性は、損なわれてしまう。というわけで、私はディラックの将棋盤は全く試していないし、これからも試そうとは思わない。

(2022年7月30日記)

石川県人 心の旅 バンガイ編 by 石田寛人

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