将棋の駒は「王」のほか、「飛車」「角行」「金将」「銀将」「桂馬」「香車」「歩兵」があって、合計8種ある。敵陣に出入りすると働きの違う駒になることがあるが、これを別とすれば、元々は8種類である。9路×9路の盤上で戦われる将棋の駒は、9種類であるほうが美しいと、先崎学九段は書いておられる。そして私は、実は9種類と言ってよいのではないかと思っている。その根拠は、敵味方の「飛車」から「歩兵」に至る7種に加えて、「王」をよく見ると、「王将」と書かれた駒と「玉将」と書かれた駒が一個ずつあり、敵味方で字が違い、これを2種とみなしうることにある。そして、王将と玉将を書き分けることには意味があると思う。将棋のルールでは、捕獲した敵の駒は、駒台の上に乗せて、やがて自分の駒として使える。よって、敵味方で駒の字や姿かたちが異なっていてはいけない。しかし、王将と玉将はこれらとは全く違う。捕獲されれば、ジ・エンドだから敵味方で異なっていても差し支えないのみならず、その方が敵味方の別を際立たせてよいと思えるのだ。しかし、実は将棋駒には、相玉と呼ばれるものがあって、それは「王」が二つとも「玉将」と書いてある。これはこの議論の例外である。
チェスや中国の象棋(シャンチー)は、同じ働きをする駒を、敵味方で違ったものにしている。象棋の場合、敵味方で全ての駒の字を違えている。王将に相当するのは、「将」と「帥」だ。我が国における飛車と角行の別はなく、同じものが左右2個ずつあって、名称は「砲」と「炮」。金将と銀将にあたるものは「士」と「仕」、及び「象」と「相」である。桂馬と香車は「馬」と「車」であるが、相手のものは、それぞれにニンベンをつけている。そして歩兵は「卒」と「兵」である。象棋は、捕獲した相手の駒を使うことはできない。よって名称が違っていても全く差し支えがないどころか、わざわざ名前を違えている。中国は文字の国であり、象棋の駒にも文字を豊かに使っていることに、中国らしさを感じる。私は象棋のルールは全く知らないが、敵味方を分ける境界は「漢界・楚河」と書かれている。これは始皇帝によって全国を統一した秦の後を巡って戦った漢の劉邦と楚の項羽の争いを盤上で再現するように感じられて、歴史の世界に誘われる。
チェスの場合は、キング、クイーン以下、歩兵にあたるポーンに至るまで敵味方の駒の呼称は同じだが、敵味方で色が違う。チェスの駒は立体的で、いろいろな細工が可能であり、人間の顔を描き分けた芸術的な駒も多い。私がプラハで見せて貰ったある大使のチェス駒はまさに彫刻芸術であった。もちろん将棋駒にも芸術品があり、象棋も同様だろう。
ところで、王将と玉将の別については、元々は両方とも玉将であったが、豊臣秀吉がどちらかは王であるべきとして、一方を王将に変えたと言われている。今は手合いの上級者が「王」を持つのが通例のようだ。
NHKの将棋の放送を聴いていると、王将も玉将も、駒が動くときは「6二ギョク」などのように「ギョク」と読み上げられる。「王」がじっと最初の場所に居続ける形は、それが王将であっても玉将であっても「イ(ヰ)ギョク」と呼ばれる。「玉頭(ギョクトウ)に殺到する」、「玉形(ギョクケイ)がわるい」、「玉(ギョク)は下段に落とせ」「中段玉(ギョク)は寄せにくし」など「ギョク」の呼称が用いられることが多い。しかし、「王手」の場合は、「オウテ」と呼ばれ、「王の早逃げ八手の得」では、「オウ」とも「ギョク」とも発音されるようだ。このあたり、まことにもって臨機応変で、ここが将棋の面白いところと思っている。
(2022年8月1日記)
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