(7)囲碁と将棋とグーゴルと

 去年2月11日、日本経済新聞の囲碁欄を見て驚いた。掲載されている棋譜の囲碁盤面が殆ど埋まっている。趙治勲名誉名人対関航太郎三段の王座戦予選特選譜の総譜で趙名誉名人3目半勝ちの一局だったが、手数が395手に達している。碁盤の広さは縦19路横19路で361目の地点があるが、それを遙かに超える長手数である。碁は相手の石を囲むとそれを盤面から取り上げるし、コウという手段があって、何度も取り返し合うことがあるから、同じ地点に二度も三度も打てる。よって、総手数が盤上の地点の数361を超えることは理論上あり得るし、過去にもそんな対局はあったが、それにしても、私自身は盤面がこのように埋まった総譜を見るのは初めてなので、いささかの感慨を覚えた。

 囲碁や将棋の「場合の数」は、どれくらいか。著名な情報工学者はこだて未来大学の松原仁教授は、「チェスは10の120乗、将棋は10の220乗、囲碁は10の360乗」と書いておられる。チェスの場合、ある局面でルール上指せる手が平均35通りで平均手数が80手として35の80乗、すなわち10の120乗になるという計算である。将棋の場合にあてはめると、一手毎に指しうる手の数を80通り、平均手数を115手とすれば、場合の数は80の115乗となり、これはほぼ10の220乗である。囲碁の場合も同じような仮定をおいて計算すれば10の360乗ほどになる。

 この計算は、我々が囲碁や将棋の奥深さを理解する手懸りとなる。しかし、これは、松原先生も言っておられるように、実際に現れうる局面の数とは全く異なる。将棋の場合、ルール上指しうる手の平均数は80通りほどかもしれないが、その中に無意味な全く効果の無い手が多く含まれており、現実に指す手は、せいぜい10通り前後と思われる。10通りならば、場合の数は10の115乗になる。しかし、この数も大きすぎて、専門家がルールに沿いながら実際に指されるうるものとして計算した局面数は10の66乗前後とされている。このあたりがいいところかもしれない。

 囲碁についても、上述の数字は大いに過大である。局面の種類としては、碁盤上の361の地点に白が置かれるか、黒が置かれるか、何も置かれないかの3通りしかないから、その総数は3の361乗である。3の361乗は、10の172乗であるから、先の10の360乗とは大きな違いである。この数も、盤上全て白の場合とか、全て黒の場合とか、白も黒も一目も置かれない場合とか、囲碁のルール上無意味な配置を含むから、白黒交互に着手して、勝敗が決する現実的な局面の数は、これよりずっとずっと少ないのは明白である。

 これらのことは、YahooやGoogleで簡単に調べられるが、そもそもGoogleの語源は10の100乗を意味するGoogol(グーゴル)のようで、世界の森羅万象を網羅しようとするネットの名称にふさわしいとも思える。東洋でも大きな数を表現する言葉は沢山あり、その最大の「無量大数」は10の68乗とされるが、さらによれより大きい表現のうち最大のものは「不可説不可説転」とされているようだ。これは仏教のお経の中に書かれているようで、流石数学の国インドで生まれた宗教と驚くことしきりである。

 この宇宙における原子の数は、10の80乗ほどとされるから、我々の実生活の数から見れば、上記の囲碁将棋の局面数がいかに大きいか分かるが、囲碁でも将棋でも、その手数から大きな数に思いを致すと、無限の彼方に引っ張られるように感ずる。しかし、永遠に続く可能性のある囲碁の「コウ」や「長生」、将棋における「千日手」について特別なルールができているのは、人間を永遠から現実に引き戻す工夫として誠に面白いと思う。

(2022年8月5日記) 

石川県人 心の旅 バンガイ編 by 石田寛人

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