(10) 視力

 8月9日の竜王戦挑戦者決定戦。広瀨章人八段と山崎隆之八段の対局を中継ブログで見ていたら、昼食休憩明け対局再開の前に「定刻前、両者は眼鏡を外して目を休めていた」という記述と写真があった。その後、対局をAbemaTVでフォローしたら、夕刻以降山崎八段は一度ならず目薬をさされていた。将棋対局は目に大きな負担をかけるようだ。

 私は、子供の頃から近視で、視力に自信がなかったし、娘は専ら顕微鏡を覗く病理の仕事で目を酷使しているので、ずっと目の疲労について関心を持ってきた。ただ碁将棋に関しては、私は大会で一日3局連続して盤に向かっても、あまり目の疲れを感じない。我が対局は30分から最長2時間弱の短時間決戦で、目をこらす時間がない。盤面を凝視して深く考えたいが、考えようにも中身がない。しかるに、プロ棋士は碁盤や将棋盤を挟み、一日中、頭脳をフル回転させつつ、盤の上を睨んでいるのだから、目に大きな負担がかかるのは当然かもしれない。私は今頃こんなことを書いているが、プロ棋士にとっては常識なのだろう。

 先崎学九段の随筆「盤外戦」には、ここらあたりのことが実に分かりやすく説明されている。九段は近視で、かつて眼鏡を掛けておられた。それが、突如眼鏡なしになった顛末と棋士の目の疲労の様子を淡々とユーモラスに紹介されているのである。

 九段は、以前から視力を回復する手術を受けたいと思っておられたようだ。しかし、当時の手術は、目の中にメロンを切るように切れ目を入れるものであったので、そんなことはとてもできないと諦められたということだ。実は私も若い頃、近視の先輩と視力回復の話をしていてこの方法を教えられたが、それは御免被ると諦めたことがある。しかし、技術は進歩して、今やそんな方式ではなくなり、有力な囲碁棋士や将棋棋士に近視矯正手術を受けられた方もあって、九段はついに手術を受けられたのだ。それは慎重な検討の結果ではなく、クリスマス休暇に囲碁棋士の揚嘉源さんに何となくかけた電話で、検査だけでもと奨められて病院を訪ね、勢いで翌日の施術を決めたこと、当日は、自信満々の院長の演説によって不安な気持ちが次第に氷解していったこと、手術は30分足らずで短かったことなど、目の手術という重大イベントの体験でありながら、話が明るく進んでいく。

 術後、視力がよくなった目で見えるもの全てが新鮮で、あてもなく町を歩いたと書かれているのは、私が中学生の時、初めて眼鏡を掛けたときの感じにそっくりと思った。しかるに、九段には目に負担をかける対局が待っている。年末年始の休憩のあとの手術後初の対局では、ずっと優勢に進めながら、夕刻に至って、術後の状態に十分慣れていない目に突如支障が出て、将棋の駒がピカピカ、将棋盤もピカピカということになり、以後対局に集中できず、逆転負けを喫したのみならず、それから連敗を重ねたということである。棋士はいかに盤面を真剣に懸命に見つめているか、感動しつつ驚いた。

 私自身は、妻や友人達の白内障手術の術前術後の状況を見ながらも、ずっと眼の手術はせず、高校生大学生の頃と同じような眼鏡を掛け続けているが、最近は近視に老眼が加わって、スマホは眼鏡なしで見るようになった。目は確実にうすくなっていく。最近はパソコンでもスマホでも2と3を見間違えることが増えた。我々動物が著しく進化したのは、目を持ったことで、外界を素早く認識でき、獲物を速やかに捕らえ、天敵からいち早く逃れうるようになったからという研究結果があるようだ。視力を失われながら鋭い感覚を磨かれて生活される方々に敬意を表するとともに、80年間、おぼつかなくも、我が行動を支え続けてくれた我が両眼に感謝している。(2022年9月2日記)  

石川県人 心の旅 バンガイ編 by 石田寛人

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