(11)控える

 9月4日の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第34回「理想の結婚」で、菊地凛子さん演ずる北条義時第三の妻「のえ」が登場した。「のえ」は、義時との見合いの場では極めてしおらしく振る舞い、肩の上の落ち葉をそっと取ったり、贈られた茸を大好きと言ったりして、好感度満点の態度だった。かくして、義時の妻の座を確実にしたのだったが、他の侍女とおぼしき女性達だけと一緒になったときには、義時から貰って好きだと言った茸を「嫌いだから持って行きな」と侍女に下げ渡し、「(もはや自分は)鎌倉殿とも縁者ってこと、控えよ、控えよ」と冗談めかしながら高飛車に叫ぶ場面を、義時の息子泰時に見られてしまうというシーンがあった。先行きの展開がいろいろ気になるところであるが、ここで私は「控えよ」という言葉が耳に残った。

 この場面での「控えよ」は、自分は高い立場にあるのだから、自分の前では、出過ぎたことをしないで、謹んでじっとしておれという意味であろう。義時の前での振る舞いとは全く違った言いぶりで、彼女の態度には裏表があったのだ。

 「控える」という言葉は難しい。昔、私の曾祖父が「控える」と言った時の半分ほどは、手許に書き留めておくという意味で、あと半分は、当該行動をしないでおくというようなことだったと思う。かつて、私は、「控える」という言葉で陳謝したことがある。それは、私の属する団体で、関係者の身内の方が亡くなられた際、葬儀はなるべく内輪にというご遺族の趣旨に沿って、「供花、電報などは控えて下さい」と事務局から役員に連絡したことに発する。これに対して先輩の役員から、事務方から役員に対してこの表現を使うのは、適切ではないとの指摘を頂いたのだ。言葉のニュアンスに鋭敏な方からの指摘でもあり、私は、連絡文に責任を持つ立場から、すぐに謝った。確かに「控えてください」という言い方はぶっきらぼうで、公共交通機関などでは「会話はなるべくお控えください」などと丁寧な表現でアナウンスしている。さらに、私には、ほとんどそんな感覚はないけれども、「控えよ」「控えろ」などは、歴史的なニュアンスとしては、立場の上の者が下の者に対して用いる言葉だったようでもある。まさに後に伊賀の方と呼ばれる「のえ」が口にしたような感触の表現だったらしい。水戸黄門の助サン格サンが悪人どもに葵の御紋の印籠を見せながら、「控えおろう」と叫ぶ。かつては、「控え」に近い言葉の「差し控え」とは、武士に対する処罰の一種で、自宅から出ないで謹慎していることだったとされている。

 我々は歴史的な言葉の使い方を踏まえて、多くの方に失礼のないように発言し、文章を書かなければならない。言葉の由来を知ることは大切である。使う使わないはともかく、我々の先祖が育んできた繊細で微妙な表現法を、我々の抽斗の中に入れておくことは大切であろう。それとともに、これから、多くの外国の方に日本語を使ってもらおうとすると、歴史的ないきさつがある難しいニュアンスの言い方よりも、クッキリした分かりやすい表現を多用することが重要になってくると思われる。

 それはそれとして「控える」は、囲碁における私の重要な戒めのひとつとして、頭にたたき込んでいる。私は、相手が大きな地所を確保しにかかると、これは大変とその地所の中に踏み込もうとする傾向がある。すると、多くの場合、この踏み込みが過ぎて、相手の石に囲まれ、あえなく御用となってしまう。これが私の碁の敗因で大きな割合を占める。かくして、囲碁の先生から「もう一路控えて打った方がよかった」と指導を受けることになる。盤に向かう私にとって「控える」は大切な大切な言葉だ。(2022年9月15日)

石川県人 心の旅 バンガイ編 by 石田寛人

大好きな囲碁将棋にまつわる出来事や思いの丈を綴っていくサイトです。

0コメント

  • 1000 / 1000