科学技術庁職員だった私は、外務省に出向し、在米大使館の科学担当参事官として勤務した。さらに、一般職の国家公務員を退職した後、チェコとスロバキアの大使の役目を頂いたが、これら外国勤務では終始言葉に苦労した。英語は中学校で習い始めて以来、長く付き合ってきたが、一向に上達しない。チェコ語とスロバキア語は難しい。この両言語は極めて似ており、別の言葉と言えるかどうかというほどの違いと思えるが、我が外務省にはチェコ語とスロバキア語の専門家がそれぞれいて、密接に交流している。この両言語の難しさは、まず格変化の多さにある。名詞が、主格、生格、与格、対格、呼格、前置格、造格と7格に変化する。固有名詞も格変化する。「イシダ」は主格だが、呼び掛けの場合は「イシダ」ではなく、呼格を使って「イシドー」と言わなければならない。しかし、そう呼ばれても、自分のことのような気がしない。思い出すのは、仮名手本忠臣蔵に登場する石堂右馬之丞なる人物。殿中の刃傷沙汰で切腹を命じられた塩冶判官(浅野内匠頭)に同情して寛大な対応をする高級武士で、良い役なので、「イシドー」も悪くないと割り切った。ラテン語の呼格として広く知られているのは、「ブルータスお前もか(エト トゥ ブルテ)」の「ブルテ」で、カエサルは「ブルータスよ!」と叫んだのだ。チェコ語やスロバキア語をとてもマスターできない私は、大使時代は英語を用いたが、チェコ語の通訳に頼ることも多かった。
科学技術庁時代はフランスとの仕事で、よく日仏通訳のお世話になった。通訳付きの時は、早口にならないようにゆっくり話し、また、難解な故事来歴や喩えは使わないように努めたが、それでも、私は、通訳が難しい人間と思われていたようだ。
そんな私も、さらに昔の若い頃、和英の通訳をすることがあった。米国で熊谷太三郎科学技術庁長官がサンジエゴの核融合担当者と会われた際、秘書官事務取扱として随行した私がいきがかり上通訳したことがあったし、福田赳夫総理がソ連の核融合担当政策責任者ベリコフ氏と会食されたとき、短いながら通訳とおぼしき役割を担った。この時、ベリコフ氏の英語は概ね聞き取れたが、「イデー」という発音に引っかかって、先方に確認してしまった。この言葉は、「アイディア」というような感じで使われたのだが、欧州では「理念・考え」を意味する語として広く使われてきているから、確認するまでもなく、すぐ真意を察知して適切な日本語にしなければならなかったと反省した。
要人同士の通訳では、話の腰を折りたくない。専門家は難しい日本語の端的な英語表現をいつも考えている。「隔靴掻痒」、「王手飛車」などを、いかに短く意味を通して英語で表現するかと。ある先輩が忘れられないと述懐する通訳経験は次のようなものだ。
我が国の要人が「それは、『花見コウ』のようですね」と発言された。米側の要人は多分囲碁を知らない。言葉の由来を長々と説明することなくとっさに英語化するのが通訳の役目だ。そこで「それは、対戦相手の球が深いバンカーに捕まったようなものですね」と瞬時に訳した。もし相手がそれにゴルフの話で応えてきたとき、また囲碁に置き直して対応できるかと頭の中で構えたが、幸いそこで話題が転換したということだった。
我が国の日常会話では、「王手」「高飛車」「持ち駒」「捨て石」等々囲碁将棋由来の言葉が何気なく使われることが多い。これらは機械翻訳器の苦手とするところかもしれないが、近時はかなりこなすようになったとされる。通訳翻訳は総合力であろうが、囲碁将棋の知識も大切だと痛感している。(2022年10月15日)
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