今年のプロ野球日本シリーズは、第7戦に至る熱戦の末オリックスが4勝2敗1引き分けで勝利した。7戦まで行けば、「王手」に対する「逆王手」の表現がスポーツ紙を飾るのが普通だったかもしれないが、それが無かったのが、1引き分けの効果だ。よく用いられるのは、Aチームが先に3勝すれば「王手」。そこにBチームが追いついて3勝3敗になれば、Bチームが「逆王手」。そして第7戦を戦うことになる。
しかし、この状況は、将棋対局上の「逆王手」とは違う。将棋盤の上で、「王手」をかけられた人は、次の一手で「逆王手」をかけうるが、「逆王手」をかければ、自らにかかった「王手」は解除される。しかるに日本シリーズの場合は、「逆王手」をかけても、依然として自分にかけられた「王手」は解除されない。よって、スポーツ紙等の「逆王手」は、将棋の用語と同じ意味ではないのは明白だ。
そもそも、将棋の「逆王手」は、2つの役割を同時に果たしている。ひとつは自分にかけられた王手から脱却する役割、ふたつ目は相手に王手をかける役割である。将棋では、ひとつの指し手によって、このふたつの役割を同時にこなすことができるが、野球の試合一回ではこの両方の役割は果たし得ない。日本シリーズで3敗して王手をかけられれば、もうその状態から脱することができない。自分に王手がかかったまま、その後の試合に勝って、相手にも王手を掛け、さらに最後の一戦も勝つよう努めることはできる。3勝3敗の状態は、将棋における逆王手とは違う状態であることははっきりしている。
このあたり、ネットでいろいろ議論されているし、用語を厳密に吟味する各新聞社も「逆王手」の使い方について考察を重ねてきたようだ。松本博文氏は『日本シリーズで3勝3敗に追いつくことを「逆王手」と言うのは誤用?将棋ライターからみた「逆王手問題」』という論考をネット上に掲げて詳論されており、結論を含めて、私は松本氏の言われるとおりと思う。その要点は、スポーツ紙が頻用する「逆王手」は、将棋用語そのものからは厳密には誤用だろうが、この表現も状況を端的に表わしており、これに替わる簡明な表現も見つけにくいので、それなりの言い方とも思われ、代替の妙手を探しつつも、この表現の使用はアリではないかというものだ。将棋用語と野球用語は違うと割り切るのである。
松本氏の論考と、その中で引用された朝日新聞の説明によれば、「逆王手」も、最初は将棋用語とほぼ同じ用い方をされたようだ。それは昭和53年9月。2シーズン制のパリーグの近鉄・阪急戦。この試合は、近鉄にとっては最終戦で、勝てば優勝決定。負ければ阪急が残り2試合を1勝か2引き分けで優勝という局面であり、見出し的には、近鉄が阪急に「王手」を掛けた状態である。この試合で、阪急が勝利したので、これを「逆王手」と新聞で表現したのだ。この用法は将棋用語にほぼ近い。試合でも、リーグ戦などで、状況によっては、将棋的に「逆王手」と呼びうるような状況が出現するのだ。結局阪急が優勝したが、ここで、将棋の場合と若干違うのは、負けて逆王手をかけられた近鉄は、もはや能動的な対抗手段を持っておらず、阪急の負けを期待するしかないことだ。将棋のように王手、逆王手、さらに逆王手と続けえないのである。ところで、スポーツの試合で、王手、逆王手、さらに逆王手と続くケースがあるのだろうか。大相撲で3人の力士が優勝決定戦に臨む巴戦がそれに近いかもしれない。A力士がB力士に勝てば王手、さらにC力士に勝てば優勝で、C力士が勝てば逆王手でB力士との対戦に臨むことになる。この場合は、2者ではなく3者間の対戦であることが、将棋と異なっている。将棋と同じケースをあえて考えれば、対戦するAチームとBチームのどちらかが連勝したら優勝とするルールをつくればよい。初戦でAチームが勝てば王手、次戦でBチームが勝てば逆王手という感じである。
なお、ここではプロ野球日本シリーズを取り上げたが、囲碁や将棋のタイトル戦挑戦手合の7番勝負、5番勝負、3番勝負の全体の勝ち負けでは、野球の日本シリーズの場合と全く同じなのは当然である。
将棋ファンとしては、将棋用語が、その厳密性はともかくとして、野球をはじめ、我々の身近にあることに改めて驚き、ありがたく思う。(2022年11月15日)
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