4月8日、囲碁の本因坊戦の仕組みが変更されることが報じられた。かなりの制度縮小である。ついに来てしまった。本因坊戦の縮小案が取り沙汰されていることは、かねて仄聞してはいたが、7日に主催者の毎日新聞社から正式に発表された。
改革される本因坊戦は、まず挑戦手合いの七番勝負が五番勝負に、二日制が一日制に変更される。本因坊への挑戦権を直接争うリーグ戦は廃止され、全てがトーナメント方式に替わる。報じられるところでは、挑戦手合いの勝利者の賞金も現在の2800万円から850万円に大幅減額されるようだ。棋戦の序列は、賞金額の順序によって決まる。したがって、七つのタイトル戦のうちで、棋聖戦、名人戦についで序列第3位の本因坊戦は、第5位に落ちることになる。
本因坊戦は伝統に輝く棋戦である。誰もが知るとおり、信長、秀吉、家康の時代に活躍した本因坊算砂に始まる長い囲碁家元の称号を今に引き継いでいる。タイトル保持者は雅号を名乗る。井山本因坊は本因坊文裕だ。戦前、本因坊位の継承は世襲制から実力制に切り替えられて1941年に実力制初代本因坊が誕生した。現在の大きなタイトル戦の基本形式であるリーグ戦優勝者がタイトル保持者に挑戦する仕組みは本因坊戦に始まる。
その方式が大幅に縮小されるのは痛恨事だ。主催の毎日新聞社と日本棋院、関西棋院の最終判断とあれば致し方ないが、残念である。囲碁愛好者の思いは同じだろう。
私個人としては、昨年の4月と5月の「心の旅」の「本編」に記した通り去年の5月に金沢の尾山神社において行われた第77期挑戦手合いの井山裕太本因坊対一力遼挑戦者戦の開幕局を間近に見せて頂き、昨年9月の「バンガイ編」で報告したように、タイトル防衛が決まって東京の椿山荘で開かれた本因坊就位式にお招き頂いたのが、極めて貴重な心の財産となっている。
一年前を思い起こせば、対局前日の5月9日には、両対局者による対局場の検分が行われ、前夜祭が開かれて、主催者や両対局者の挨拶があった。私は拙い謡を謡わせて頂いた。明けて10日の対局第一日目開局時には、対局室の白藤の間で、主催者代表の丸山雅也毎日新聞社大阪代表、小林覚日本棋院理事長、榊原史子関西棋院常務理事、立会人の羽根直樹九段達と並んで受入れ側代表ともいえる前田利祐名誉会長の横に座らせて頂いた。対局室への両棋士の登場、先手後手を決めるニギリと、第一手の打ち下ろしを直に見せて頂き、その後は控え室で、高段棋士の解説を伺いながらモニターの映像を見続け、二日目は、大盤解説にひたすら聞き入った。
高段者の方々の口ぶりでは、初日は挑戦者が若干優位のうちに推移していたようだった。だが、二日目で本因坊が盛り返し、優劣不明か本因坊微差の優位のうちに終盤戦に突入して、どう転んでも半目勝負というのが解説者の見立てだった。結局、二日目の夜9時34分、357手という長手数での終局で、先番井山本因坊の半目勝ちという結果だった。この第一局の大熱戦の結果が、この番勝負全体の帰趨を決めてしまったように思えてならない。金沢の本因坊戦は、私にとって何物にも代えがたい珠玉の時間だったが、これが1日制になってしまうのは、淋しいどころではない。
本因坊算砂は、前田利常公の碁もお相手し、金沢の本行寺に石碑も立っている。石川県人の一人として、本因坊戦が、新しいシステムでも多くの人々に愛好され、近い将来、元の方式に復する日が来ることをひたすら願っている。(2023年4月15日記)
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