バンガイ編(18)では、囲碁将棋対局における地口やダジャレとの関係で、将棋棋士豊川孝弘七段のオヤジギャグについてふれた。豊川七段のギャクは聴いていて面白く、これで将棋ファンが増えたのではないかと思われる。ところで、アマチュア対局者同士の地口やダジャレと豊川ギャグには若干の相違があると思う。
それは、前者は、対局者が自分や相手の着手に関して思わず口から出る叫びやうめきであり、それに関係する言葉がくっついたものであるのに対して、後者は、解説者たる豊川七段が、第三者として対局を見て、その状況をわかりやすく面白く表現し、視聴者の理解を深めるために発する言葉というところにある。つまり、前者は主観の叫び、後者は客観の観察言葉なのだ。
対局者が相手の着手に身構える時の「来たか長さん待ってたホイ」は、形勢の優劣、いずれでも使いうるが、一般に地口やダジャレは、優勢な方はそれほど口にせず、劣勢な方が相手の好手に困ったり、自分の着手を瞬時に反省したりして口から出ることが多い。
「勝った勝ったと下駄の音か」は、敗局寸前の方が、相手の勝勢が決定的になり、相手から「友達をなくすような」絶対に負けに転じない鉄壁の着手を続けてこられるケースに、口から漏れるつぶやきである。
これらの地口と異なり、豊川オヤジギャグは、テレビ対局の解説の際の端的な言葉であるため、地口のように「心の叫び」に関係語が続くという構成では必ずしもなく、また、完結した文章や文節というより、単語であることが多い。
局面が「難解」な場合は、「南海ホークス」。双方優劣が「拮抗」していれば「キッコーマン醤油」。優劣の差がなく双方どちらが好いのか判らない微細な形勢の時は「美・サイレント」(山口百恵の歌)。一方が「優勢」ならば「郵政民営化」。形勢がはっきりしてしまって、一方がもうアカンという状態になると「阿寒湖」。素人にも、状況がよくわかって面白く、盤上の優劣がしっかり理解できる。使われる言葉には、ややレトロなものも多く、これがまた我々老人にはたまらない。
着手の一手ずつを論評するためのギャグも多い。相手の着手を放置して別の方面の手を指せとばかりに「ホットケーキ」。持ち駒や時間が足りなければ「タランチェラ」(女子プロレスラー)。その手では間に合わないと思えば「間に合わじヒトシゲ(淡路仁茂)」と先輩大棋士のお名前もどんどん拝借する。敵陣に向かって駒が殺到する場合は「さっとう康光(佐藤康光)」と将棋連盟会長の名前も使われる。
冒頭主観客観の別について述べたが、豊川ギャグは覚えやすく、ついつい対局者も口にすることもあるだろう。そんな中では、飛車を捨てる場合の「飛車をキリマンジャロ」、同飛車と相手の駒を捕る際の「同飛車大学」、相手の二つの駒のどちらかを捕獲できる着手(両どり)を指す「両どりヘップバーン」などが代表格と思われる。
オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」は、我が国でも多くの老人や熟年者の若い日を魅了したためか、その名は脳内にしっかり焼き付けられているようだ。私の若い時分に上司と対局した碁で、「大どりヘップバーンだ」と言いつつ私の大石がしつこく追いかけられたのが忘れられない。我が国にヘボン式ローマ字を導入したヘボンがヘップバーンと同じスペルの同じ名前であることを知って、素直に耳にした音を書き下ろした幕末・明治の先人の聴取力と柔軟性に驚いたこともまた忘れ得ない。(2023年5月20日)
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