(27)藤井聡太八冠

 今月11日、藤井聡太七冠が王座戦の挑戦手合い五番勝負第4局に勝利し、全体としては3-1のスコアで永瀬拓矢王座を降して、王座位を奪取した。かくして、藤井聡太七冠は、八冠(竜王・名人・王位・叡王・王座・棋王・王将・棋聖)となり、タイトル戦のタイトルを全て手中に収めた。1996年の羽生善治七冠以来の全冠制覇であり、世の大きな話題となった。主催紙の日本経済新聞は翌12日朝刊の一面トップでこの記事を掲げ、スポーツ各紙も巨大な見出しの一面で八冠誕生を報じた。

 さらに、藤井八冠は、タイトル戦以外で参加可能な四つの一般棋戦、即ち、朝日杯、銀河戦、NHK杯及びJT将棋日本シリーズにも優勝していて、一般的に棋士が参加する12の棋戦全てのトップの座を占めたことになり、12冠とも称されるようになった。前人未踏の金字塔を打ち立てたと言えよう。私もこの将棋スーパースターの偉業を心から祝福する一人であり、これを機に将棋が多くの人に注目され愛好されるようになることを期待している。

 将棋は一人では指せない。これまで、藤井八冠と戦って敗れ、タイトルを失った多くの棋士も、すばらしい才能を有する上に懸命の研鑚を重ねている人達ばかりであり、捲土重来を期して、更に挑戦を重ねるであろうから、我が国の将棋がこれによって、さらに深いものになるに相違ないと思っている。

 特に、王座戦で藤井七冠の挑戦を受けて敗れた永瀬王座の一局一局は、挑戦者を追い詰めながらも、逆転された勝負が多かったようだ。特に最終局となった第4局は、私もスマホでAbemaTVの実況を見ていたが、勝率が99対1となり、詰みのある状況まで来ながら、5三馬と入ったばっかりに、大逆転への道を開いてしまった場面は、衝撃的だった。着手してすぐそのことに気づいたか、永瀬王座は、毛髪を搔きむしる仕草をされたことに、私の胸中にも名状しがたいものが湧き上がってきた。敗れたとは言え、前王座は藤井八冠と頂上決戦を行うにふさわしい棋士であることを多くの人の脳裡に刻みつけたと思う。

 今や、我々はAIの力で、その局面における最善手と勝率を知ることができるが、対局者はもちろんそんなAIのアウトプットを知らずに、勝利のために頭脳をフル回転させている。棋士達が最善手を見つけられずに勝率を下げる手を指すと、ネット上で、それを嘆いたり、棋士の能力不足を指摘したりするような投稿もみられるが、我々は、最善手を求めて懸命に努力する棋士のみなさんの営みに、人間の限界に挑んで奮闘する気高さを見い出して、尊いと受け止めるべきであると思う。神のような立場から、棋士を見下すようなことをしてはならない。もちろん、我々素人の対局を一手毎にAIで勝率計算すると、終盤では優劣を示す白黒のバーは大反転に次ぐ大反転で、要は互いにチャンスを逃し合っている状況が如実に示されるはずと思っている。いずれにせよ、いまのAIには教えられるところがとても大きい。

 しからば、現在のAIは神の如き存在かと言えば、そうではないと思う。今AIが示す勝率は、双方最善を尽くした場合の勝率である。しかし、実際は、藤井八冠でも、最善手を指し続けることはない。しかし、藤井八冠は、時にAIより早く最善手を見つけて着手し、解説の高段棋士が賛嘆するという場面があり、我々はただ驚くしかないが、ともかく、人間には人間の感覚があり、一局全てが理論上の最善手の応酬に終始することは、まずないと言えるだろう。そこで、人間としての各棋士が現実に指す可能性の大小を計算に入れた勝率もほしくなる。しかし、この答えを得ることは、最善手の応酬を続けた場合の計算より格段に難しい。そんなことで、現在のAIが示す最善手も、神の着手から遙かに遠いし、現実の棋士の指し手もAIには遠いことも多い。そんな状況にありながら、盤の前で一手一手苦悩しつつ最善手を求め続ける棋士のみなさんの映像や報道を見ると、明るい将来を求めつつ日々苦闘している私どもの姿と二重写しのように感じる。

 藤井八冠をはじめ棋士の皆さんには、どうか健康に留意して、我が国の将棋をさらに高めて頂きたいと念じている。そのためには、各棋士が、持てる力を最も発揮しやすいような環境をつくっていくことが何より大切と思う。(2023年10月24日)

 

石川県人 心の旅 バンガイ編 by 石田寛人

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