前に触れた藁科満治さんの著書「歌舞伎に踊る囲碁文化」を読売新聞社から頂いたのが昨年の秋。この書を読んだことを早く書きたかったが、ついつい今月になってしまった。しかし、これまで何度も読み返して、藁科さんの造詣の深さにただただ驚嘆するばかりである。
さて、その内容であるが、やはり舞台の中身と囲碁が密接に関係する場面がある芝居として、「碁盤太平記(ごばんたいへいき)」「祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれい・しんこうき)」と「碁太平記白石噺(ごたいへいき・しろいしばなし)」が挙げられている。この3作の他に、藁科さんは、①「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」と②「花野嵯峨猫魔稿(はなのさが・ねこまたぞうし)」を同様の趣向のものとして並べられている。
①は、我が国と中国にまたがるスケールの大きい筋の芝居で近松門左衛門作の人形浄瑠璃作品。1715年、竹本座で初演され、今も、歌舞伎、文楽で上演される。そもそも「国性爺」とはいかなる意味か。「国性」はもともと「国姓」。「国姓」とは中国の国の君主の姓。中国人を父に、日本人を母に持つ鄭成功(ていせいこう、日本名は田川福松)は。大きな功績を挙げて、国姓を名乗ることを許されながら、それを辞退して「国姓爺」と呼ばれた。この人物が主人公で、ある程度史実に沿いつつ、明国の再興を図るというのがこの芝居である。近松は「国姓爺」と呼ぶことをはばかって「国性爺」としたと言われるが、よくはわからない。また、鄭成功の和名を「和藤内」として、「和」(日本人)でも「藤(唐・中国人)」でも「内(無い)」という意味を込めたとも言われているが、彼は、「和」でも「唐」でもあるのだ。物語の筋は長くなるから書かないが、この芝居の中に碁を打つ場面があるとは知らなかった。ただ、この場面は初演の後は演じられていないようだ。
また、②は、3代目瀬川如皐作の芝居で、外題からもその臭いがするように、化け猫の話に鍋島藩のお家騒動が絡んだものだが、私は全く知らなかった。これに似たお家騒動に猫がからむものとして、「有松染相撲浴衣(ありまつぞめ・すもうのゆかた)」なる河竹黙阿弥作の芝居があり、若い頃、白黒テレビでその舞台を見たように思う。この芝居は囲碁には関係なく、外題の通りに相撲関連の芝居で、超有名な相撲力士が登場し、雷電は2代目尾上松緑が、小野川は14代目守田勘弥が演じていたと記憶する。さて、この鍋島藩の家中で起きたとされる物語の中身は、殿様と異腹の弟の間で権力争いが起こり、碁の勝負で決着をつけることとなって、碁を打ったが、負けた方が勝った方を惨殺し、それが祟って猫になって化けて出るという展開になっているようだ。そもそも、外題中の「猫また」は有名な徒然草89段に書かれているが、山中にいる化け物のような猫、あるいは飼い猫が老猫となったものとされ、京都の嵯峨に住む法師の飼い猫が「猫また」になったという話があるようだ。ここでは、京都の嵯峨に通ずる佐賀を治める鍋島家の猫騒動が芝居になっているが、殿様の奥方の名は嵯峨の方とか。しかし、家督を碁の勝負で決めるのはやや現実味に乏しい感じもある。
藁科さんは、この他、剛勇の武者が碁盤を武器に闘う芝居として、私がバンガイ編第29番に書いた「碁盤忠信」が挙げられているほか、芝居の筋との絡みの程度はともかく、豪傑が碁を打つ場面があるものとして、「児雷也豪傑譚話(じらいや・ごうけつものがたり)」と「四天王産湯玉川(してんのう・うぶゆのたまがわ)」を取り上げておられる。
前者の児雷也は、ガマガエルの妖術を身につけた豪傑で、ナメクジを操る「綱手」、大蛇を使う「大蛇丸」と三すくみの関係にあることでも知られる。その児雷也が太鼓持ちに碁盤を担がせてその上で傾城あやめと碁を打つ趣向のものである。
後者は、源頼光の土蜘蛛退治の話で、その中に頼光四天王が碁を打つ場面が出てくるものである。頼光四天王とは卜部季武・坂田金時・渡辺綱と碓井貞光の4人で、他に一人武者として平井保昌がいる。一人武者平井保昌については異説もあるが、今年の大河ドラマ「光る君へ」にも登場することが期待される情熱的な女流歌人和泉式部の後の夫ともなっており、その間柄を示す姿が今も京都の祇園祭の保昌山(ほうしょうやま)に飾られる人物でもある。歌舞伎では、この四天王が、頼光の屋敷で宿直をする際に碁を打っており、坂田金時と卜部季武の打碁の場面が浮世絵に残っている。私の若い頃見た「蜘蛛絲梓弦(くものいと・あずさのゆみはり)」の外題で上演されたこの物語の歌舞伎作品でも、宿直中の打碁の場面があったと思う。
この他、今は全く上演されないが、「吉備大臣支那譚(きびだいじん・しなものがたり)」では、唐に渡った吉備真備が碁を打つ場面があったという。また、柳亭種彦が著わした草双紙「偐紫田舎源氏」には、その元になった紫式部の「源氏物語」に出てくるような囲碁で遊ぶ場面があるが、これが、浮世絵になり、能にもなって、さらに歌舞伎演目にもなったようだ。
全体を通して見ると、内容的には「碁盤太平記」「祇園祭礼信仰記」と「碁太平記白石噺」の3作に、碁の影が最も濃いようだ。なお、藁科さんは、碁と歌舞伎衣装の関係についても述べておられる。歌舞伎の衣装に碁石と碁盤、あるいは将棋の駒の模様をあしらった衣装を用いられることがあり、歌舞伎十八番のうちの「毛抜」の主人公粂寺弾正(くめでら・だんじょう)が碁盤碁石模様の裃をつけている浮世絵の図版を示されている。かつて私は、将棋の駒の衣装の粂寺弾正を見たように記憶するが、思い違いかもしれない。このバンガイ編第3番「碁盤と将棋盤」で、「サザエさん」に描かれた、碁石と将棋盤、将棋の駒と碁盤の男女の組み合わせのマンガを記憶すると書いたが、作者長谷川町子さんは、歌舞伎がとてもお好きだったようだから、碁盤模様の歌舞伎衣装を何度も見られて、それがマンガに取り入れられたように思えてならない。
「歌舞伎に踊る囲碁文化」を通して読むと、藁科さんが、実に丹念に囲碁に関係する歌舞伎場面を調べられているのを楽しむことができ、その博識さと研究の深さには感嘆するのみである。(2024年4月21日)
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