先日、金沢の泉野町にあるカルチャースクール「石心」に佃優子さんを訪ねた。相変わらず子供達は将棋に、年配者は囲碁に夢中であったが、その折、佃さんから映画「碁盤斬り」を見るように勧められた。草彅剛主演のとても面白い映画で、佃さんとも懇意の井山裕太王座・碁聖・十段や女流の藤沢里菜女流名人女流本因坊が、碁の打ち方を指導され、盤上に並べる碁をいかなるものにするかを苦心しつつ、映像にも顔を出しておられるということだった。「碁盤斬り」の言葉から、「柳田格之進」という落語に、そんなストーリーがあるのではないかとかすかな記憶を口にしたら、まさにその落語に題材を求めた映画だということだった。
そこで、早速、映画「碁盤斬り」を見に行って、感じたところをこのバンガイ編に書こうと思ったが、私が映画を見たあとでは、どうしても、あらすじを踏まえた書き方になってしまう。私のバンガイ編などを読む人はほとんどいないから、世間的影響は皆無だろうが、やはり、あらすじや映画のキモに触れて、ネタバレすることは避けるべきであろうと思い直した。
それはともかく、我々がエンタメとして劇や映画を観る楽しみは、話の成り行きにハラハラドキドキして手に汗を握るところだけにあるのではない。みんな楽しむテレビ映画「水戸黄門」では、悪代官や悪徳商人は、最後に始末される。必ず水戸黄門と格さん助さんが勝つのである。しかし、この予定された正義の勝利に至る波瀾万丈のプロセスとそこに展開する様々な人間模様と出演者の演技ぶりが楽しいのである。勧善懲悪の筋は明らかだが、前もって知らされてしまうのは興をそぐ。
歌舞伎の場合は、筋はさらに広く知られている。古典作品なら、観客は基本的にプロットを知っているし、新作でも、パンフレットやチラシに物語が書いてある。人気演目「勧進帳」の義経弁慶は、何度もピンチに陥って正体を見破られそうになり、その都度何とか切り抜けるが、結局、富樫が義経弁慶の振る舞いに感動して関所の通行を許可することは誰もが知っている。話を面白くするために、あるいは出演者の都合で、義経弁慶の正体が露見して、関所側と一戦に及ぶとか、弁慶が関所側を説得し、自分の部下にして一緒に鎌倉に攻め上るとか、そんなことは絶対に起きない。こんな分かりきった筋の上に、登場人物同士のやり取りや役者の演技などを見物衆は堪能する。
私は、たまたま、芝居のホンを二三書いたから、観客の楽しみ方と筋の関係が気になるのだが、落語の「柳田格之進」の筋は、一般的に広く知られているから、映画を見る前に、ここに書いても、ネタバレにはならないだろう。そんなわけで、この落語を、柳家花緑師と古今亭志ん朝師の語りをネットで聴き、若干調べてみた。
落語のあらすじは、映画や演劇と違って、演者によって簡単に変化を付けられるから、細部には異同もあるが、「柳田格之進」の大略は次のようなものだ。正直一途の彦根藩藩士柳田格之進は、その正直さゆえに浪々の身となってしまい、その人柄に感じ入った大店の質屋の店主万屋源兵衛と囲碁仲間となって、いつも碁を打っている。八月十五日の月見の日、万屋の離れで二人で碁を打っている最中に番頭の徳兵衛が店主源兵衛に五十両の金を渡したのだが、碁が終わって格之進が帰ったあと、その五十両は離れの部屋の中のどこにも見つからない。こうなると、貧乏な柳田格之進に嫌疑がかかるのは必然で、格之進を信頼する店主源兵衛は、そんな五十両は要らないというが、番頭徳兵衛は格之進のところに乗り込んで追及する。もとより金を盗んでいない格之進は、全く身に覚えはないものの、疑われた以上、翌日五十両を用立てるからと約束する。そんな金を工面できるはずもない格之進は、腹を切るつもりだったが、このことを知った格之進の娘きぬは、その晩、自分で身売りをし、もし金が万屋から出てきたときには万屋の人の首を刎ねてほしいと頼んで、五十両を用立てる。かくしてできた五十両を、格之進は店に渡して、もし、自分が盗んでいないことが明らかになれば、首を貰うと言って姿を消す。
さて、万屋では、暮の煤払いの時になって、くだんの離れを掃除すると、部屋に掛けてある額縁の裏から五十両が出てくる。源兵衛がちょっとそこに置いたのを碁に夢中だったので忘れてしまったのだ。万屋では、すぐ格之進を探すが、見つからない。その後、番頭徳兵衛は、湯島の切通しで偶然、身なりのよい侍に遭遇するが、それが柳田格之進。その人柄から帰参が叶ったのだ。格之進は明日万屋に行って、約束通り二人の首を貰うと言う。店主源兵衛も番頭徳兵衛も覚悟して、翌日現れた格之進の前で、二人は自分が悪いと主張して、自分だけが斬られようとする。二人を前に刀を抜いた格之進は、斬りつけるが、斬られたのは二人ではなくて碁盤。もとは、格之進と源兵衛を熱中させた碁盤に原因があるというのだ。格之進は源兵衛と徳兵衛の自分を捨てる振る舞いを愛で、以前にも増して万屋と懇意になり、請け出してきた娘と徳兵衛を娶せる。
以上の通りの人情話で、「柳田の堪忍袋」とも言われて、今も演じられる。確かに碁は熱中しやすい。また、碁が上達するには、対局中は堪忍袋の緒を切らさず丁寧に打つことが大事であろうが、なかなかそうはできない。
この話は、講談にもあるようだが、映画では、いかなるストーリーにして、いかに豪華俳優陣が演じるか、興味津々である。
6月23日夕刻、テレビを点けたら、人気番組「笑点」の問題に、「碁盤斬り」の関連問題が出された。回答者が小さな刀を持って「○○切り」と叫びつつ、切る真似をして、その理由を述べるのである。回答者は著名落語家ばかりだから、「柳田格之進」は、すっかり手に入っている話なので、それぞれ、いかにも笑点らしい回答の連続で抱腹絶倒した。「碁盤斬り」の映画化を機会に、囲碁に対する若者の関心が少しでも高まることを期待したい。(2024年6月27日記)
0コメント