6月20日将棋の八大タイトル戦のひとつ叡王戦の挑戦手合5番勝負の第5局が藤井叡王と伊藤挑戦者の間で行われた。結果は挑戦者の勝利。かくして、伊藤匠七段が叡王位を奪取した。藤井八冠は七冠となった。この挑戦手合は、加賀市の片山津温泉で第2局が戦われ、先々月この欄でご報告したように、私は現地で大盤解説会に参加したこともあって、一番ごとにチェックを続けた。この最終局は、石川県から東京へ戻る北陸新幹線車内でスマホを覗いてAbemaTVをフォローしたが、将棋の内容はよく理解できなかった。しかし、結果ははっきりしていた。八冠の一角が崩れたことに、言い知れぬ淋しさを覚え、胸中に大きな空洞ができたように感じた。同時に、その空洞の中で、新叡王のさらなる発展を祈る気持ちが芽生えているのも確かだった。思えば、北陸新幹線に乗る前、小松の自宅で見たテレビ番組は、この一番の勝敗を論じていたが、6時までに終われば藤井勝ち、6時を過ぎれば伊藤勝ちと予想されていた豊川孝弘七段の言葉が見事的中したのは流石と思った。
この結果、盤石の強さで無敵と思われた藤井八冠が七冠となったことが、将棋界に大きな反響を呼んだのは、広く報じられてきたとおりである。私としては、藤井七冠には、次期にこの棋戦の挑戦者となって叡王位を取り戻してほしいと願いたいし、伊藤新叡王には、初タイトル獲得に祝福を送り、その保持に全力を尽くして頂きたいと思っている。そう言うと、いったいお前はどちらを応援しているのかと訊かれそうだが、私は、孫の世代にあたる藤井・伊藤両棋士が、深く考え抜かれた最高の将棋を創り上げることを、ただただ期待しているのであり、ともかく、両棋士には、さらに健康に留意して、研鑚を深め、将棋界を更なる高みに導いて頂きたいと念願するのみなのである。負けた藤井七冠は、負けてますます好きになり、勝った伊藤新叡王は、勝ってますます好きになった。
有力な棋士には、それぞれ贔屓のファンが大勢おられる。それは極めて結構なことだが、自らの贔屓棋士の前に立ちはだかるライバル棋士を憎らしく思う心理が働くのは、一面自然ではある。そのため、自由に自分の思いを述べられるネットでは、ライバル棋士をサゲたり茶化したりする投稿もまま見られる。また、最近は、ネットやテレビの放映で、AIが示すその局面の勝率が示され、その場面の最善手、次善手などが示されるから、それを見て、必ずしも最善手を指さないトップ棋士に関して、失望の言葉が吐かれることもあるようだ。しかし、それは残念なことだ。私達は、自分がAIか神になったように錯覚して、人間として懸命に最善手を探り続ける棋士を見下すような言辞を弄してはならない。
現在のAIは更に進歩し続けるであろう。しかしAIは神ではない。将来、神になることもない。そして、人間は、AIにすらなりえない。親から生まれ、長くても百年ほどの生涯を送り、子供に生命のバトンを繋いで死んでいく私達人間は一面極めて不完全な存在である。そんな中で、懸命に次の一手を模索する将棋や囲碁の棋士に、人間の営みの凝縮を見るように思えるのが、これらのボードゲームの素晴しいところだ。将棋や囲碁の勝負自身は、直接には人間生活に役立たない勝ちと負けを生むのみだ。しかし、私達は、勝ち負けの過程とその複雑極まる内容、さらにはその周辺のありようを文化として楽しんでいる。さらに、勝負に没入する棋士達の姿は、過ちをおかすこともある人間が高みに向かって懸命にもがく人生の在り方を私達に示して、それぞれのより深い世界観、人生観の醸成に大きく寄与しているように見える。そんなことから、藤井、伊藤匠両棋士をはじめとする将棋棋士、さらには囲碁棋士には、今後も素晴しい対局を続けて頂きたいと願っている。(2024年7月18日)
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