「碁盤斬り」の映画では、「石の下」という囲碁の手筋が重要な役割を果たしている。このくだりは、私の知る限り、落語「柳田格之進」の中では語られることがないので、映画化の際に新たに付け加えられたものかと思われる。誰が「石の下」をこの映画に用いることを考えたのか。碁の内容を指導された井山王座碁聖十段か関山九段か藤沢女流三冠か、あるいは、出演者かスタッフか。プロでないならば相当の碁好きの方の発案と思われる。ともかく、主人公と敵役の間で緊迫する囲碁勝負が行われ、「石の下」の筋が現れた場面では、私は思わず手を握りしめた。
「石の下」とは、どんな手筋か。ウィキペディアを見ると、「囲碁用語の一つで、意図的に相手に石を取らせて空いた交点に着手する手筋のこと。実戦に現れることは稀で、詰碁の死活の問題で現れることが多い」とある。碁に馴染のない方には、分かりにくいかもしれない。そもそも「交点」とは何だろうか。囲碁では、基本的に石は全て交点に置かれるので、盤上で石を置きうる場所すなわち19×19の361の地点、つまり全ての地点ということになる。ただ、「交点」とは「二つの線が交わる点」で、「十字路・四つ角・四つ辻・交差点」とも言い換えられるから、碁盤の端にある地点、すなわち、片と隅の地点合計72カ所は「交点」と呼べるのだろうか。ウィキペディアに説明を書いた人は、局面を「石の下」の状況に導いて次の手を着手する際、片と隅に石を置くケースはないと知っていて、あえて「交点」の表現を用いたのかもしれない。しかし、それが正しいかどうか、棋力の無い私には分からない。
思えば、対局が進む中で、すでに置いてある数個の石が取られて空き交点となり、そこにまた石を置いて、相手の石を捕獲し返し、優劣をひっくり返す手筋を「石の下」というのは、表現としてとても巧みだ。端的で分かりやすい言い方を求めて工夫した先人の知恵はすばらしい。
かく言う私は、長く碁を打っていて、直接あるいは間接に「石の下」で負けたこと、勝ったことは、全く記憶にない。ここで、「間接」と述べたのは、そのまま打ち進めれば「石の下」になってしまうところ、それを見切って投了する場合や、石の下を避ける手段を講じたけれども、それにもかかわらず、敗けになってしまうような場合があるからだ。しかし、「碁盤斬り」の映画を見たほぼ一カ月後の9月6日、ある囲碁の会で、二子置いて私よりかなり強い方と対局したところ、どんどん劣勢になっていき、最後は見事に「石の下」にかかって負けてしまった。正確には、負けを認識しながらも、投げ場を見つけられず、何となく打ち進めていたところ、ついに「石の下」で引導を渡されてしまったということである。
私は、勝ち負けにはこだわらないタイプではあるが、やはり碁は勝つために無い知恵をふり絞るのだから、勝てば気分がよくなり、負ければ悔しい。碁を打ち始めた子供の頃、「石の下」にやや近い手筋である「ウッテガエシ」で負けたことが何度かあるが、とても悔しかった。また、「逃げるに逃げられない」と言われる「シチョウ」を逃げて負けたこともある。もっとも、それは単純なシチョウではなくて、一度ぶつかってさらに曲がっていく盤中シチョウだったが、ともかく負けたときは、我がヨミの浅さと間違えやすさにとても情けなかった。しかし、今回の「石の下」での敗局ばかりは、感動のようなものを覚え、晴れやかな気分になったのである。これは、映画「碁盤斬り」を見た効果なのだろうか。歳をとって、ものごとに淡泊になってきているせいなのだろうか。いずれにしても、全く悪い気持ちにはならなかったので、我ながら驚き、いつもこんな心境になれるように努めて、さらに碁を楽しみたいと思っている。(2024年9月22日)
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