今年のノーベル賞では、何と言っても、日本原水爆被害者団体協議会の平和賞受賞が特筆されるが、物理学賞、化学賞ともAI関係の研究者技術者が受賞対象となったことも大きな注目を浴びた。
今やAIは、我々の生活に大きな役割を果たしている。物理学賞、化学賞の両方で、AI開発が脚光を浴びたのは、まさに時代の反映と言える。
物理学賞は、AIの中核ともされる機械学習の基礎を確立して、「ディープ・ラーニング」等の新たなモデルの形成につなげた米国プリンストン大学のジョン・ホップフィールド教授とカナダのトロント大学ジェフリー・ヒントン教授が受賞された。ヒントン教授には、2019年に本田財団から本田賞を贈呈し、同財団の役員として私自身も直接その謦咳に接したので、教授のノーベル賞受賞にはひときわ感慨深かった。同教授の訪日は困難な状況にあったが、それを押して東京までお運びいただいた教授の強く温かいお気持ちと、それを可能にした関係者の御尽力に感謝の思いを深くした。お蔭で、理化学研究所の甘利俊一先生をはじめ我が国AI研究のリーダーの先生方と十分に意見交換して頂くことができた。
化学賞は、全く新しいタンパク質の設計に成功した米国のデーヴィッド・ベイカー教授とAIでタンパク質の構造予測に成功した英国のデミス・ハサビス氏とジョン・ジャンパー氏が受賞した。ハサビス氏は、米国のIT産業の大手グーグル社の持株会社「アルファベット」傘下の「ディープマインド」のCEOで、ジャンパー氏は研究者である。この「ディープマインド」社は、人工知能を駆使した囲碁のソフト「アルファ碁」を開発、発表し、2016年に世界トップ棋士の一人韓国のイ・セドル九段と対局して、4勝1敗で勝ち越した。さらにその翌年、世界最強の棋士といわれた中国の柯潔九段と対戦して、3連勝する結果となった。端的に言えば、AI が世界最強の両棋士に勝利したのである。この結果を受けて、ハサビス氏はアルファ碁を人間との対局から引退させることを宣言したが、その後も研究は続けられており、アルファ碁ゼロ、アルファゼロが開発されたと聞いている。
このアルファ碁の開発は、ノーベル賞受賞の直接の理由ではないようだが、ここから更に進展して、タンパク質の構造解明のための「アルファフォールド」の開発に着手するなど、囲碁におけるAIの研究が、ノーベル賞への跳躍台になったものと私は思っている。
かくしてAIは世界最高の棋士を凌ぐようになった。今日、我々がテレビで囲碁や将棋の対局を見るとき、棋力が極めて高いAIが、その局面の最善手、次善手などを示し、そこからの「勝率」を計算してくれる。
囲碁や将棋、チェスのような「二人零和有限確定完全情報ゲーム」は、ゲームの全構造が明らかになれば、結果は、はじめから、先手の勝ち、後手の勝ち、あるいは引き分けと決まっている。しかし、囲碁や将棋の場合、ゲームの全構造、言い換えればゲーム・ツリー(ゲームの木)は、果てが見えない巨大な樹木のように広がっており、人間がそのゲーム・ツリーの分岐において、最善の選択を続けることはまず困難であり、不可能とも思えるのである。
囲碁や将棋が完璧な「二人零和確定完全情報ゲーム」かと言えば、そうでないかもしれないとの議論もありうる。また、現在のAIが、囲碁や将棋のゲーム・ツリーの全構造を解明把握しているかと言えば、そうではなく、機械学習によって、極めて多量の経験を蓄積し、それに基づいて勝利の可能性の高い着手を見つけ出すとともに、その時点における勝率を計算しているものと私は理解している。これらのことについては、また原稿を改めて論じたい。
むしろここでは、アルファ碁の出現によって、対局で最善手を求めて努力するプロ棋士の営みが相対的に価値を失うかと言えば、そうではないと強く主張したい。
例えば、人間は、絵を描くという行動で、自分の見た対象物を画面にとどめ記録してきた。それは、単に見えるがままに正確に描こうとするだけではなくて、対象物の本質を画面上で表現したいという意図も込められてきたと思われるが、対象物の本質を表現することは、並大抵の業ではない。まず、対象物をなるべく正確にそのまま描くということが、基本であったとも思える。そこに写真技術が登場し、今や画素の極めて多い写真もできてきて、対象物をそのまま写すという業は、人間は写真に及ばなくなった。しかし、対象物の本質に迫るという芸術家あるいは一般の人々の営みは、これによって意味を失うことは全くない。
囲碁や将棋の対局もこれと同じように思えてならない。二人の人間が盤を挟んで対局するのは、もちろん勝ちを求めるためではあるが、二人の着手のやりとりが重要で、しかも全ゲーム・ツリー構造の把握など不可能な人間が、盤を挟んで対峙して一定時間以内という条件でいかなる着手のやりとりをしたかが重要であり、その足跡が記譜とも思えるのである。囲碁を「手談」というではないか。囲碁将棋における勝利は一義的に重要ではあるものの、このプロセスこそが、我々が最も楽しむことができる宝物ともいえると思うのである。(2024年10月26日記)
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