(40)二人零和有限確定完全情報ゲーム

 前回論じたように、囲碁将棋などは、「二人零和有限確定完全情報ゲーム」といわれるが、これはいかなることを意味するのであろうか。また、囲碁将棋は、厳密にそれに当てはまるのだろうか。前回書いたように若干の議論はありうる。

 まず「二人」であるが、これは言うまでも無く、二人で勝ち負けを競うのが囲碁将棋であるから、これについては疑義が発生するところはない。

 次に「零和」については、その二人が対局すれば、勝つか負けるか引き分けかで、一人が勝てばもう一人は負ける。プラスマイナスがぴったりバランスするという意味である。囲碁も将棋もこれにも当てはまっている。囲碁将棋対局の結果がウィン・ウィンになればいいが、そんなことはない。まさに「零和」と言い切りたい。しかし、囲碁について、日本囲碁規約を見たら、なんと第13条に「両負け」の規定があるではないか。これでは「零和」ではなくなってしまう。しかし、これは一応終局が宣言された後に、更に手段があることが分った場合のことのようだ。この場合、どちらかの対局者がゲーム再開を宣言すると、宣言した方の相手方が先に着手するのがルール。よって、再開宣言したとたん、相手に手段のある箇所に勝着を打たれて、自分は負けてしまうので、双方とも再開宣言できなくなる。よって双方負けにするということのようだ。実際こんなことはまず発生しないし、もし発生しても、これは終局処理のあり方のようなものだから、このことをもって、「零和」の構造が崩れているとも言えないように思う。

 将棋に「両負け」のようなことがあるかどうか私は知らない。

 「有限」については、ゲーム・ツリーの全構造が有限であるということである。それは、それぞれの局面において可能な着手の数が有限であり、その着手が有限回数で終了するということを意味する。

 それぞれの局面における着手可能な手段は多いように見えるが、有限であることは比較的容易に認識できる。その着手が有限回数で終了するかと言えば、そのようでもあるが、碁でも将棋でも、それが有限でなくなる場合がある。

 囲碁では「三コウ」が発生すれば、着手が無限に続くことになる。こうなれば、「有限性」は損なわれる。思い起こせば、私が公務員になりたての頃、碁は有限のきれいなゲーム・ツリーを構成するものであるかどうか先輩と議論した。先輩は、観念的にはゲーム・ツリーは完結すると宣言され、私は三コウを例示して、囲碁のゲーム・ツリーには「もつれ」があって、完結していないのではないかと反論したものだった。もっともその時は、ゲーム・ツリーという言葉は思いつかず、「デンドライト構造」と呼んでいたが、これは樹木のように枝分れが続いていく形態の意味で用いたものだった。

 三コウの他に「長生」というケースもある。今も日本棋院東京本院に近いJR市ヶ谷駅の通路の床には、長生の形で白黒の石が配置されている。これは、この床を踏む人達に長生きしてほしいという願いが込められているようだ。同時に長生という何となく深くめでたい結末も碁にはあることを訴えているようにも思える。

 しかし、「三コウ」や「長生」が発生したときには、それを無勝負、引き分けとすることで、無限連鎖を断ち切れば、有限性が確保される。

 将棋に関しては、双方の着手が堂々めぐりになってしまう「千日手」があって、無限軌道に入ってしまうことが、比較的頻繁に発生する。しかし、現在は、同じ着手4回の循環で千日手となり、この場合は「指し直し」と決めれているので、無限入りが防がれている。 また、双方の玉が敵陣に入玉して、その体勢から相手玉を詰ますには何とも困難な状況になってしまい、終局が見通せなくなってしまうことがあるが、これは、一定の条件を決めて、「持将棋」と称する引き分けか、あるいは、それぞれの駒の種類と数で勝ち負けをつけるという策がとられており、事実上有限の状態に引き戻されている。

 よって、若干の前提を置けば、有限性は保たれていると言えよう。

 「確定」については、サイコロの目のように、偶然性に異存するところがないということで、これはその通りと認識される。

 「完全情報」に関しては、全ての情報が両方のプレイヤーに公開されているということで、これも、囲碁と将棋に関しては、その通りである。

 かくして、囲碁将棋が「二人零和有限確定完全情報ゲーム」であるならば、それは、最初から、先手の勝ちか、後手の勝ちか、引き分けかが決まっているゲームであることが証明されている。そう言ってしまえば、なんとなくつまらなくなる感じがするが、囲碁将棋は、全体が極めて複雑であり、全構造を全て把握することは人間にとっては不可能といえるだろう。アルファ碁が人間に勝利したと言っても、それは、ディープラーニングという機械同士で対局経験を途方もなく積み上げたことによるものであって、囲碁の全ゲームツリーが豁然と明らかにされたわけではないと私は理解している。やはり、囲碁と将棋は極めて奥深い。(2024年11月24日記)

石川県人 心の旅 バンガイ編 by 石田寛人

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