コロナ以来、オンライン会議がすっかり定着した。私が関係している公益財団法人の理事会や評議員会などは、オンライン出席が正規の出席とみなされるので、とてもありがたい。新法人制度が発足した当初、理事会と評議員会は本人出席が厳密に求められていたので、定款の定める定足数確保に苦労した話を聞いたことがあったが、オンラインは状況を一変した。
囲碁将棋もオンラインによる対局がかなり広く行われるようになった。これまでも囲碁将棋のソフトがどんどん開発されて、一人でソフトを相手にパソコンに向かって勉強かたがた対局する方が多くあったが、オンライン対局では、ソフトではない人間がパソコンの向こうにいるのだから、実際の対局に近い臨場感がある。ソフトは、今や強弱いろいろ調整できて、便利ではあるが、強いも弱いもそれぞれに極めて堅実に着手を進めてくる。特に一定以上の強さになると、人間のようなアッと驚く着手はなく、凡ミスは全くしない。私も相手のミスを期待するわけではないが、時に予想外の着手が出る人間の相手が恋しくなる。それでも、私はソフト対局を繰り返しているが、やはり、オンライン対局は独特の気分がして楽しい。
チェコ在勤中、夕食後に時間のあるときは、故国の囲碁愛好者と何度かオンライン対局をした。欧州の宵の口は、日本の深夜か未明なので、時差の克服と時間調整に苦心したことがなつかしい。
オンライン対局では、時にクリックミスをして、本来の意図とは違う場所に打ってしまうことがある。将棋は囲碁より着手のプロセスが複雑だから、クリックミスの可能性が高い。最近は、着手の取り消しができる方式も多いようだが、私がいつも使う囲碁のシステムは「待ったなし」で、着手の取り消しができない。そのため、これまでクリックミスによって負けたことが何度かあって、何とも情けなかった。これとは逆に、もともと意図した着手が悪手で、たまたまミスクリックしてしまった着手が結果的に正着となり、それが勝利に繋がったことがある。勝ったことは嬉しかったが、ミスクリックの結果が好手というのは、自分の力量の拙さをこの目で見るようで、切なさが交じった何だか妙な気分だった。
今はすっかり各種のオンラインの仕組みが充実していて、自宅でも楽に対局できる。自宅での対局は、配偶者に嫌われることも皆無ではないかもしれないが、多くの場合、家族の声援を受けて良い環境で対局することになるようだ。奥様に激励され、頭脳がよく働くための糖分補給としてケーキを供給されつつパソコンに向かう友人もいるし、応援のお孫さんと「おじいちゃん、どう?」「今考え中なんだ」「しっかりね」と微笑ましい会話を交わしつつ着手する方もおられる。私の場合は、妻は、それほど応援する様子はないようだが、必ずお茶は供給してくれる。私がしっかり碁が打てるかどうかで、我が脳ミソの働き具合がチェックされているようでもある。それやこれやで、オンライン対局が、家族に囲碁ファン将棋ファンを増やすことに繋がればうれしいし、総じて言えば、我々がアマとして楽しみに碁を打ち将棋を指すにはオンラインはとても快適である。
もちろん、プロは全く状況が異なるだろう。コロナが猛威をふるったころ、ネット上のアマチュアから、プロもオンライン対局を導入したらどうかという意見があったが、プロ同士では、オンラインでの対局条件を公平にするのは結構難しいはずで、結局、特別の企画は別として、一般には、マスク着用その他の対応策を講じつつ、プロ棋戦にオンライン対局が導入されたことはないようだ。
そんなことで、プロではない我々にはとても有り難いオンライン対局ではあるが、やはり、時には、碁敵と直に顔を合せて、碁を打ちたくなることがある。落語の「笠碁」にあるように、目の前の碁敵と烏鷺を戦わせるのには、独特の味わいがある。将棋も同じである。口からダジャレを発しながら、碁笥に手を入れて碁石をつまむ、あるいは、将棋の駒に手を触れて動かす感じは何物にも代えがたい感じがある。碁石を打ち下ろす音、駒の音。リアルの対局はやはり違う。そんなことで、オンライン対局が多くなった我が囲碁会でも、時にリアル対局を行っており、碁石の感触を楽しんでいる。(2024年12月12日)
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