(42)王将戦の主催

 囲碁将棋人口は減少を続けているとされているが、新年を迎えて、今年はぜひ、囲碁と将棋が多くの方々の楽しめる娯楽文化であると再認識される年であってほしいと念願している。

 ところが、この1月7日、スポーツニッポン社と毎日新聞社が王将戦の主催を降りて、特別協力の形になると新聞やネットで報じられた。誠に残念である。

 名人戦、王将戦、本因坊戦など囲碁や将棋のプロ棋戦の多くは、新聞社と日本棋院、関西棋院、日本将棋連盟の主催によって行われてきて、多くのファンを獲得し、今日に至っている。毎日新聞社などの各新聞社の囲碁将棋振興に対する貢献は誠に大きく、私はファンの一人として、これまで新聞社が果たしてきた役割とその功績に深く感謝している。しかし、このところ、新聞全体の中でも、あるいは囲碁将棋愛好者の間でも、新聞の囲碁将棋欄の重みが下がってきているように感じられる。私自身、テレビやネットの短時間対局や超短時間対局の企画を楽しみ、通常のプロ棋戦も、主だった対局の状況は、ネットやパソコンでライブで見ることが多くなった。これに対して、実際の対局のはるか後になる新聞紙面上の観戦記で具体的な対局の進行を楽しむ度合いは減ってきている。さらに、昨年、毎日新聞社による囲碁本因坊戦の大幅な縮小方針が出されたこともあり、新聞社と囲碁将棋の関係について、現状が変わらないか気になってきた。

 ただ、将棋は藤井聡太竜王名人の出現によって、将棋を指さない人も、将棋の世界に興味を持つようになり、いわゆる「観る将」や一般的なファンが増えているようにも見えるが、これが長く定着することを祈るような気持ちになっていた。

 そんな中で、今回、毎日新聞社が王将戦主催の座から降りるニュースを聞いたのは痛恨事であった。全国紙の発行部数が減っており、各社の経営状態は容易ではないとは想像されるが、囲碁将棋については、何とかして現状を継続してほしかったので、この報道の衝撃は大きかった。

 王将戦は、進行中の藤井王座に永瀬九段が挑戦する挑戦手合いが74期の最後で、今や75期を迎えようとしている代表的な将棋棋戦である。挑戦手合いは7番勝負ではあるものの、かつて3番手直りの指込み制が採用されていた。私は他の番勝負とは違うこの制度をよく理解できていなかったが、概略次のような仕組みと思っている。まずこの7番勝負は、普通の番勝負なら4勝を挙げた方が勝ちのところ、3番たて続けに勝つ、つまり冒頭から3連勝すればそこで勝負は決着がついて、勝者が番勝負全体の勝利者となる。しかし、第4局以降も指し続けられ、7番まで半香落ち、すなわち香落ちと平手を交互に指す手合いで対局が続けられる。この場合、4局目以降は全体の勝負には関係なく、よしんば、指し込まれた方が4連勝して、結果4勝3敗となっても、最初に3連勝した方が全体の勝者になる。ただ、さすがこのような勝敗逆転のケースは発生したことがなかったようだ。なお、勝者が4勝1敗で勝った場合も、3勝差がついたことで指し込み成立となり、6局目、7局目が指される。この制度も、途中から、全体の勝負がついたあとで、半香落ちで何局も指すという仕組みは改められ、香落ちを1局のみ指すということになった。さらに、1965年からは、冒頭3連勝で全体の勝負が決まる制度が、他の将棋棋戦における挑戦手合いの番勝負と同様に、4番手直りに改められ、また、一方が4勝して勝負ありとなった段階で両者の対局は終了することとなって、香車落ちの対局を行うことはなくなった。しかし、名目上の指込み制は維持され、冒頭から4連勝した場合は、4番手直りで半香落ちに指し込んだとする記録が残る形式は継続された。

 上の記述は、指込み制に関する毎日新聞の記述などから分かったことなのだが、実際に行われた指込み局については、私はあまり知らなかった。聞くところによれば、王将戦の歴史は興味深いエピソードに満ちている。かの有名な1951年度の陣屋事件は、木村王将・名人を指し込んだ升田八段が対局を拒否したものだったようだし、1955年度の番勝負では、升田八段は大山王将・名人に3連勝して指し込み、第4局の香車落ち将棋も升田八段の勝ちとなり、「名人が香をひかれて負ける」という事態が発生した。今も、挑戦者決定のための7人によるリーグ戦は、残留者が4人で、3人がトーナメント戦の勝ち上がり者という仕組みなどから、棋界で最も過酷なリーグ戦といわれているようだ。また、「王将戦」という名前は、創られた当時にはいろいろな見解があったようだが、何といっても、将棋ならではのものであり、これぞ将棋チャンピョンを決める戦いという感じがすぐわかる名称である。さらに、村田英雄の歌謡曲「王将」は大人気を博し、餃子のチェーン店の名前にもなっているこの名前は、我々の生活の中にも生きている。

 今は、序列第七位の棋戦になっているが、ALSOKが特別協賛として加わり、今に至っている歴史的逸話満載でしかも我々に身近な感じがするこのALSOK王将戦から、この棋戦を育ててきた毎日新聞社のコミットメントが大幅に減るのは誠に淋しい。

 石川県の関係でも、2年前に金沢東急ホテルでの藤井聡太王将に羽生善治九段が挑戦した挑戦手合い第3局目は、県民や北陸人にとって忘れられない対局だった。私は、金沢の芸妓さんたちの素囃子「連獅子」などで賑やかだった前夜祭の末席を汚し、翌々日の対局第二日目にはホテルでの大盤解説会に公立小松大学の将棋サークル部長中桐茉奈さんとともに森下九段や高見七段の解説を心ゆくまで楽しんだ記憶が鮮明である。こんな素晴らしい王将戦の伝統はぜひ維持してほしい。今年度の王将戦が終了した後、どのようになっていくのか、囲碁の本因坊戦の状況を見ても心は休まらない。

 新聞界には、こまでの囲碁や将棋に対する甚大な功績に感謝しつつ、今の状況は維持してほしいと懇願し、関係者には、新たな協賛者協力者を見つけ出していくよう努力を傾注することをお願いして、世の中の今の傾向が反転して囲碁将棋人口が拡大し、多くの人々が囲碁や将棋に大きな関心を寄せる状況が到来することを切に望んでいる。(2025年1月19日記)

石川県人 心の旅 バンガイ編 by 石田寛人

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