毎日新聞社とスポニチ新聞社が、2024年をもって将棋棋戦王将戦の主催を降りて、特別協力という形になったのは、今年1月の本欄に書いたとおりであり、王将戦は日本将棋連盟の単独主催ということになった。ただ、この方式が長く続くのも容易なことではないと思われる。タイトル棋戦の主催にどれくらいの予算が必要か知るよしもないが、大きな企業といえども、簡単に出せる額ではないだろう。長期的に王将戦がどうなっていくか、気になるところである。
このような状況において、次期の叡王戦に関するスケジュールや予選の予定が、定例の6月を過ぎても公表されず、叡王戦がこれで終了するのではないかと憂慮する向きもあった。しかし、先日、引き続き不二家主催のもと、叡王戦の予選組合せが発表され、この棋戦の継続が明らかになった。段位別に予選を行う斬新な方式のこの棋戦は、新しいタイトル棋戦である。もともと、プロ棋士とコンピューター将棋ソフトウェアが対戦する棋戦であった電王戦が2015年に終了し、これに関わったドワンゴが何らかの形で継続棋戦ができることを希望したので、当初一般棋戦としてつくられた。第3期からはタイトル棋戦となり、主催者は第5期までがドワンゴで、第6期からは不二家が主催してきている。タイトル棋戦の中での叡王戦の序列は変動があったが、今は竜王戦、名人線に続いて第三順位のタイトル戦となっており、この棋戦の継続は、誠に喜ばしく、主催者の決断に感謝したい。
思えば、各新聞社が、それぞれ長く囲碁と将棋のタイトル戦を主催してきたことは、本当に有り難く、素晴らしいことだった。新聞社の強力なサポートがこれからも長く続くことを期待したいが、マスコミ業界の状況の変化もあろうから、それ以外の業界からの強力な支援も強く望まれるところである。新聞において、囲碁将棋欄は、小説欄と並んで、政治経済欄や科学技術欄と異なった角度から読者を惹きつけ、それによって紙面の価値を高めてきた。芸術文化振興基本法第12条では、囲碁将棋は国民娯楽とされている。囲碁と将棋は、もちろん素晴しい国民的娯楽ではあるが、プロが苦心して生み出す棋譜を含め、その勝負にからむプロセス全体は、娯楽以外の要素も大いにあるように思う。今やAIの進歩発展にも絡み、いろいろな話題を提供している。
現下の状況では、ほとんどのタイトル棋戦の挑戦手合い番勝負の結果は、主催新聞の社会面に棋譜入りで報じられ、YouTubeや日本棋院や日本将棋連盟のホームページでも速報される。また、番勝負以外の対局結果もネットなどで知ることができるから、囲碁将棋欄は、ワクワクしながら贔屓の棋士の勝利を願って読むというよりも、かなり前に勝敗がついた対局の一手一手の意味を追究して味わうためのスペースであることが多いようだ。もちろん、ほとんどの予選やリーグ戦の対局は、新聞で速報されないにもかかわらず、名局も数多く、囲碁将棋欄でジックリそれを鑑賞して楽しむ方もおられるだろう。ただ、私を含む多数の一般的愛好者にとっては、プロ棋士の一手一手の意味はとても深く、限られた囲碁将棋欄の記述では、なかなか理解しきれない。囲碁将棋欄の中身を深く楽しみうるのは、アマチュアの強豪など限られた人なのかもしれない。
ポイントは、極めて高度な技術で勝負を争うトッププロ棋士の着手の内容が、サポーターとしての囲碁将棋ファンの大多数には容易に理解し得ないことにある。プロの着手の内容とアマの鑑賞力の間のギャップが大きすぎるのである。そのため、アマから見れば、勝負の内容より、勝ちと負けの結果にのみ目が行ってしまう。もちろん囲碁も将棋も勝負事であるから、勝ち負けは第一義的に重要であるが、いかなる指し手がファインプレーであり、いかなところでミスが発生したかなどを分かりやすく解説してもらえれば、アマとしては有り難い。今も、囲碁将棋欄を執筆する方々が、そのために懸命に工夫しておられるのがよく窺えるのだが、多くの方々が、惹きつけられるようにして囲碁将棋欄を読むような状況をつくるべく、更に尽力して頂きたいと思う。プロとアマのギャップをうまく乗り越えることによって、新聞の囲碁将棋欄が輝きを増し、新聞社以外の企業も、囲碁将棋を支援する意義を見い出しやすいようになっていってほしい。(2025年7月25日)
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