小学生の頃、近所の同級生西島小巳雄君の家には、立派な足付きの木の碁盤があった。また同じく近所の同級生松浦秀機君の家には、縦横19路の印刷紙を板に貼り付けた囲碁台とも言える簡易碁盤があった。これらの盤で盛んに松浦君やその兄君そして西島君と碁を打ったが、手合割りはどうだったか、勝ったか負けたか、全く覚えていない。誰かに系統的に教えて貰った訳ではない。スミは一手で守れるのが大きなメリットのような気がして、三三に打つことが多かった。終局後、整地して、地を数えることはしていたし、シチョウも知っていて、シチョウアタリを打ったりもした。しかし、シチョウという言葉自体は知らず、「例のアレ」と言っていたが、ともかく、碁らしきものは打っていた。しかし、中学生になると、碁を打つ頻度は減っていった。少年時代に「ちゃんづけ」で呼びあい、学業を競いあった松浦君、西島君を思い出す毎に、懐かしさがこみ上げ、すぐにでも両君と打ちたいという衝動に駆られるが、西島君はすでに逝去し、松浦君と碁盤を囲むのも難しいようだ。
中学校での同級生で学年リーダーのひとり広田邦昭君が、後年、重量物運搬会社社長の用務繁多の合間を縫って、盛んに碁を打っていると聞いたので、ぜひ対局したいと思ってきたが、つい先日逝去の報に接した。残念と言うほかない。広田君は、私のチェコ勤務中、同級生十数名とプラハを訪問してくれたので、夕食後に引き留めて碁盤を囲めば良かったのにと後悔することしきりである。対局はあの世に持ち越しである。
高校時代は、同級生と碁を打つことは全くなかった。しかし、数年前、金沢のカルチャースクール石心の席主佃優子さんのご配慮で、時に石心を訪れる高校時代の同級生の医師佐野譲氏と打った。この時は、昔の級友と碁を打つのが嬉しくて、手を読むどころではなく、お互いに大胆な手段の応酬になったように記憶するが、勝ったか負けたかは忘れてしまった。その時、佐野氏と佃さんから高校時代の恩師伊藤俊一先生も、石心でよく打たれていると聞いたので、昔英語を教えて頂いたように、今度は囲碁を習いたいと思って、佃さんに時間調整をお願いしたが、それがかなわないうちに、亡くなられてしまった。
目白の和敬塾で過ごした大学時代は、ラウンジの碁盤で、土佐高校出身医学部学生中川健氏と何度か打った。肺ガン手術の名医となり、また有明の癌研のトップとして大活躍しつつ、長年私達の医療相談に気軽に応じてくれてきている中川氏の棋風は、序盤が強く、定石によく通じていたのが忘れられない。
大学では、同期の曾我文宣氏と何度か打ったが、徹底的に勝ち負けを競うような碁ではなく、ワイワイいいながら楽しんだ。一級下のクラスには、榎本聡明氏達強豪がいたようだが、学生時代に対局することはなかった。ただ、職場対抗の囲碁トーナメントで、日本原子力発電や動燃事業団で活躍された白方敬章氏とぶつかったことがあった。大会はチーム戦であり、私の勝ち負けがチームの勝敗に直結することになって、既に対局を終えた人達が見守るなかで着手が進んだ。しかし、実力は、はっきり白方氏の方が上であり、衆人環視のもとでの対局は、私が細部に拘って大きい手を逸し、敗勢に陥って、同僚の期待を裏切る結果となった。その終局後に講評して頂いたのが、相手方のキャプテン関根瑛應さんであった。
関根さんは、旧制一高の応援団長として極めて著名な大先輩で、真宗大谷派の僧籍もある熱血漢だった。動燃では広報を担当されていたが、このような社外との交流にも力を入れておられた。関根さんとは、後年、読売新聞社が世話されている棋道懇談会で何子か置いて盤を挟んだが一度も勝つことができなかった。そのうちに亡くなってしまわれたので、また天国で教えて頂きたい気持ちである。
科学技術庁時代は、事務次官を務められた大先輩伊原義徳さんに置き碁を打って貰って、シチョウを逃げるという失敗をしたのが忘れられない。この時は、相手の石にくっついたシチョウアタリにぶつかって逃げ切れるというのが私のヨミだったが、ぶつかってさらに逃げてもはやり逃れられないところまで読み切れていなかったのだった。伊原さんは自らの打ち碁は自宅で必ず棋譜にとられていると聞いていたので、鬼籍に入られた今、奥様にお願いして、私が汚してしまった棋譜を何とか返して頂きたい思いである。また、強豪岡田登先輩に無謀にも2子で立ち向かっていったこと、堀内昭雄先輩とディラックの碁を打ったこと、デンドライト構造の碁のゲームツリーにて関して議論したことなど忘れられないことが多い。
役所の同期や後輩には、鈴木和夫氏、三浦睦広氏、内藤哲雄氏と、私よりかなり強い人が多く、それほど対局していない。今は、日本棋院の評議員をしている極めて有能な後輩藤木完治氏と勝ち負けを楽しんでいる。
最後に、妻のとても親しい女性に碁の大好きな方がおられて、弟さんと毎週碁を打たれ、県の大会にも出場されていると聞いた。優れた書家でもある富山県在住のこの女性に是非教えて頂きたいと思っているが、私の生きているうちに、その願望は叶うのだろうか。 (2026年6月25日記)
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